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2020、311、郷土芸能



戦後からの郷土芸能

筆者が勤務する公益社団法人全日本郷土芸能協会(東京都 以下、全郷芸)は、全国各地に伝わる神楽(かぐら)や獅子舞といった郷土芸能(民俗芸能)の伝承団体や、伝承者・愛好者・研究者といった個人を会員とし、公演の開催や調査研究、情報の提供、国際交流などをもって地域社会における郷土芸能の保存振興を図り、わが国の文化の振興と発展に寄与することを目的とする全国ネットワーク組織である。

郷土芸能をもって「わが国の文化の振興と発展に寄与する」と謳っているように、郷土芸能は、日本の各土地特有の風土の中で、子々孫々が平和で末永く暮らしていけるよう、知恵と工夫を織り重ねながら地を耕し、それとともに歌や踊りで祈り願ったものであり、一方で人々に驚愕と感動を与える、とても熱狂的でアーティスティックな側面も持っていた。だからこそ、郷土芸能も日本の豊かな生活・文化をつくる一翼を担ってきたといっても過言ではない。2020年東京オリンピック・パラリンピックにおける文化プログラムの一環、いや根幹に、郷土芸能が据えられていくことは、至極当然なはずだ。

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日本にはさまざまな郷土芸能が今も伝わる。2012年夏に明治神宮にて開催された「明治天皇百年祭〜郷土芸能奉納」((公社)全日本郷土芸能協会主催)では東日本大震災被災地の郷土芸能が奉納された。【明治神宮提供】

ところが、いま郷土芸能といえば「古臭い」「分かりづらい」「触れ方・かかわり方がわからない」「年寄りのもの」「観光商品」「見世物」といったイメージが先行しがちだ。郷土芸能がこのような捉え方をされるようになったのは、1964年東京オリンピック、1970年大阪万博を契機とした戦後復興と高度経済成長に関係しよう。どの地方都市も、アジアの国々も、東京や大阪と同じような物質的に豊かな都市になることを目指し、人材・才能が次々流出していった。結果、郷土芸能のように地域性が反映された文化と、それに付随した高齢者の知恵や知識も軽んじられ、担い手となる若者をなくし、芸能で輝く憧れの先輩の姿を見かけることは少なくなった。伝承へのモチベーションは低下し、意義はあいまいとなり、人員も情報も何十年もアップデートされず、日本人の生活・文化から遠いものとなってしまった。

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郷土芸能で使われる「草鞋(わらじ)」も、素材となるワラの不足や草鞋製作者の減少、高齢化で技術の伝承が困難であるなど、まさに郷土芸能を足元から揺るがす危機だ。【東京鹿踊提供】

一方で、1945年の終戦でずたずたになったわが国の復興に、各地のアイデンティティが集約された郷土芸能や祭りといった地域文化の力が必要とされた。特に高度経済成長真っただ中に開催された大阪万博において、全国隅々まで復興が進んだ日本の姿を印象づけるため、各地の多種多様な郷土芸能の派手やかさ、元気の良さはもってこいだった。「日本の祭り」と題したイベントのもと、全国から集結した祭りや芸能が6週にわたって次々と広大な舞台「お祭り広場」で演じられた。この空間を「演出」したのが、全郷芸の創設者である舞台演出家、TV演出家、振付家、カメラマン、民俗芸能研究者らであった。制約ある場所と時間において、わかりやすく、インパクトを求めて本来とは異なる形に演出する「郷土芸能の見せ方」のスタンダードモデルがここで提示され、いまもなおその手法は大きくは変わっていない。結果、芸能団体のありようだけでなく、舞台関係者や観客にまで大きな影響力を与え、その功罪は計り知れない。ただし、誤解のないようにいっておくと、演出家だけでなく民俗芸能研究者ら有識者が一丸となって、幾度も伝承団体のもとを訪れ一緒につくり上げていった過程があるからこそ、現在も万博時からの会員が多く所属している。

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1985年の国際科学技術博覧会(つくば万博)でも「日本の祭り」が開催された。【(公社)全日本郷土芸能協会提供】

このように、郷土芸能は戦争からの復興と経済成長に翻弄され続けながらも脈々と生きながらえてきたのだが、いま再び注目を浴びはじめている。

2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地において、郷土芸能・祭りが次々と復活しているのである。東北地方は郷土芸能や祭りの宝庫といわれ、これらを柱に地域コミュニティが維持されてきた。一年に一度の祭りを楽しみに住民の生活があり、準備や踊りの稽古で集まることが世代や地域をつなぐ。祭りを行うことが、震災後離ればなれになった住民たちが再び集い、地域の現状や未来を語り合う場となっていた。

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岩手県大槌町内にある2つの神社で3日間にわたり例大祭が開かれ、虎舞や大神楽、七福神舞などさまざまな芸能が奉納されてきた。震災後、祭りのために次々と芸能が復活した。【東北文化財映像研究所 阿部武司氏提供】

また、盆などにおける鎮魂供養を目的とした芸能である、岩手の念仏剣舞(ねんぶつけんばい)や岩手・宮城に伝わる鹿踊(ししおどり)、福島のじゃんがら念仏踊りなどが、震災直後より再開の動きをみせ始めた。東北地方では、芸能で霊を弔うという行為や光景はごく日常の風景でもあったのだ。だから震災で亡くなられた犠牲者を異形の芸能が弔うのは、東北人にとって日常への回復の一歩であり、なんとしてもやらなければならなかった。こうした姿は、さまざまな媒体によって拡散され、日本人に郷土芸能の意義を再認識させ、あるいは国内外の人々に知られざる日本文化を認識させることになった。

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筆者が伝承する行山流舞川鹿子躍(岩手県一関市)でも、新盆・初盆の家や寺を訪れ位牌前で踊りと歌をもって供養する「墓躍」を行っている。2016年8月盆の様子【鹿写真家 石井陽子氏撮影】

さらに、かつて地域を出て行った団塊世代や高齢者といった出身者や、まったくかかわりのなかった外部の人たちが、地域とかかわるようになった。そのとき初めて、足元にある地域資源、芸能や祭りに込められていた先人の知恵や工夫が再発見され、住民や高齢者の消えかけた気力と想像力に火をつけたのである。これまで出て行く一方だった地域の人材や能力の還流・還元が少しずつ行われ始めている。

震災後からの郷土芸能と東京オリンピック

さて、震災後、2020年東京オリンピック招致では「復興五輪」がアピールされた。国難からの復興におけるオリンピックや万博の招致の動きは前回と重なるが、夢や希望にあふれ経済・科学先進国として進み始めた1964・1970年と、東日本大震災やそれに伴う原発事故、次々と起こる災害、人口減少、超高齢化、地方回帰など、課題先進国としての2020年、前回と同じ方法で日本を「復興」「活性化」「海外へのアピール」をすることはできまい。

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会によると「東京2020文化オリンピアード」の目的は、「文化芸術の力で地域を活性化し、若者の参画促進や創造性を育むことで、2020年から先の未来に日本や世界の文化を継承していく」ことを目指すとある。震災からの気づきとオリンピックの機運に乗じて、一極集中の時代が終わろうとしている東京と地域の関係性を見つめ直し、2020以後活力をもった生き方ができるようなビジョンを今から鍛え、さらに観光客など外の力を利用しながら住民は奮起し、上の世代から次世代に地域のアイデンティティを誇りを持って申し伝えていくためにも、各地に伝わる芸能や祭りといった地域文化の有用性は高い。

ここで、昨年開催されたリオデジャネイロオリンピック(以下、リオ)会期中、2020年「東京オリンピック」のPRにおいて郷土芸能が取り上げられた事例を挙げておく。東京都が進める文化プログラムリーディングプロジェクトの一環で、“東京”と東日本大震災被災地“東北”の復興と世界への感謝を目的とした復興五輪を印象づけるにふさわしいイベント「TOHOKU & TOKYO in RIO」が開催され、東京・東北の郷土芸能が演じられた。東北からは、「鬼剣舞(おにけんばい)」(鬼柳鬼剣舞 岩手県北上市)と「じゃんがら念仏踊り」(磐城じゃんがら彩志会 福島県いわき市)が派遣され、全郷芸はこれら東北の郷土芸能に関する制作を担った。今回派遣された東北2団体は、偶然か必然か、鎮魂供養を行う芸能であり、盆供養を終えたばかりの翌日に渡航するというハードスケジュールであった。いずれも見た目やパフォーマンスが人目を引く人気の芸能であるが、本来の目的を知る人はそう多くないと思うし、海外ならなおさらである。かつての万博のときのように、本来の意義を明らかにせず、復興五輪の名のもと見世物のような形で取り上げることはどうなのかという悩みにも直面したのは言うまでもない。しかし、リオの祝祭感ならびに明るく朗らかな国民性に、両団体の太鼓や鉦、激しい踊りがマッチして、非言語的交流が繰り広げられ、文化の力強さ・したたかさを感じた。さらに、2020年東京開催を見据えた若い伝承者も多く派遣された。今回の経験が、若い世代の伝承活動に自信と活力を与え、さらなる後継者の増加、そして2020年以後の日本の郷土芸能界の底上げへとつながっていくことを願う。

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TOHOKU & TOKYO in RIOのジャパンハウスでの鬼柳鬼剣舞【東京都/アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)提供】
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TOHOKU & TOKYO in RIO。じゃんがら念仏踊りによるゲリラ的な練り歩き。じゃんがら念仏踊りの太鼓と鉦の音がリオ市民を熱狂させた。【(公社)全日本郷土芸能協会提供】

また、演出家の野田秀樹氏による「東京キャラバン」も同じくリーディングプロジェクトだが、演劇・アート・音楽・能、そして、岩手・宮城・福島の郷土芸能が絡み合うパフォーマンスが繰り広げられた。リオ期間中には現地でワークショップを開催し、リオ文化までを巻き込みながら、昨年10月には「六本木アートナイト」で上演された。郷土芸能と、国・言語・表現などを超えたさまざまな文化が、「演出家」を通して交ざり合う試みは、人間の祭典たるオリンピックプログラムならではともいえる。

そしてもう一つ、東日本大震災とオリンピック、そしてアジアをつなぐ壮大なプロジェクトを紹介する。

「三陸国際芸術祭」(以下、サンフェス)は、2014年から毎年、東日本大震災被災地の三陸沿岸の各地を結びながら、その地に根付き震災にも負けなかったバラエティ豊かな郷土芸能や地域文化、三陸と海でつながるアジアの民俗芸能・民族芸能の公演、そして郷土芸能と身体表現でつながるコンテンポラリーダンサーらが東北の地で郷土芸能を習う「習いに行くぜ!東北へ!!」や、ダンサーら外部のアーティストが地域住民とともに芸術創作や上演を行うプロジェクトなどを、NPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワーク(京都府 以下、JCDN)が主催、全郷芸も共催で開催している。

筆者は初年度より郷土芸能コーディネーターとして、各回のテーマにふさわしい芸能などの選出などに携わってきたが、サンフェスからはいつも大きな刺激と発想の転換の場をいただいている。郷土芸能の舞台は万博以後スタンダード化してしまったと前述したが、年々その舞台での上演が、地方の郷土芸能の貴重な外部出演の場となり、記録の場となり、周知・学びの場となって、「貴重な文化財である芸能の保存・保護」を目的としたものになっていったように思える。この視点はどちらかというと「昔から伝わっているものを変えずに引き継いでいく」という考えに陥ってしまうが、そもそも郷土芸能は、地域住民がその時代時代を「生きていくため」にさまざまな祈りや願いの形や表現を取り込みながら、変えること、変わることも時にはよしとしながら、更新し、つなげてきたものである。ならば郷土芸能は「生きている」「いきいきとした」ものであり、人々を「いきいきとさせる」力をもっているものであるともいえる。これも前述したが、東日本大震災被災地で祭りや芸能が例年通り行われたことで、喜びや悲しみを皆で共有できる場がつくられ、そこから地域の復興、地域の未来を考える礎ができていった例も多数見えてきた。サンフェスは芸能を、過去の重要な教えを守る「文化財」的視点だけでなく、今と未来を創る礎となる「文化芸術」としてのカテゴリーで捉え、あえて「芸能祭」ではなく「芸術祭」という名称を掲げたのかもしれない。

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「三陸国際芸術祭2014」メインプログラムは、岩手県大船渡市の碁石海岸で開催された。史上初めて岩手・宮城から集結した金津流獅子躍9団体の群舞は圧倒的な感動を呼んだ。【(公社)全日本郷土芸能協会提供】

サンフェス主催のJCDN代表でサンフェスプロデューサーの佐東範一氏は、サンフェスを「東京オリンピック文化プログラム開会式」としたいという。もちろん、開催によって被災地復興の姿を世界的に発信でき、経済効果も生まれる。さらには、郷土芸能と文化芸術、地域住民とさまざまな人をつなぐモデルを三陸でつくることで、全国にも数多く伝わる郷土芸能と地域へのモデルケースが示せるのではないか。ただし、地域住民や郷土芸能従事者の協力をいかに取りつけるか、息の長い調整が必要となっていく。彼らがサンフェスを「自分事」として捉え、自分たちの地域と子孫の明るく平和な未来を想像するために郷土芸能が使われていくことは、郷土芸能の成り立ちからいっておかしなことではない。どれだけの住民を巻き込み、積極的なかかわり方を引き出せるかが、今後の三陸国際芸術祭の最大の課題であろう。

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「三陸国際芸術祭2016」の閉会式(岩手県大船渡市盛駅前)。地元芸能、アジアの芸能、ダンサー、スタッフ、地域住民らが歌って踊って交流した。【(公社)全日本郷土芸能協会提供】

郷土芸能で想像する日本の未来

(公社)全日本郷土芸能協会は、戦後からの高度経済成長、バブル崩壊、東日本大震災などを通して一貫して郷土芸能とともに歩んできた。物質的に豊かになった日本における郷土芸能の姿を見続け、あるいは演出や地域外公演など外部からの干渉で、一郷土芸能の方向性を決めてしまったこともあるかもしれない。一方で、限られた地域だけものが、外との交流によって新たな価値観を持ち、伝承の糧にした芸能も多くあった。全郷芸は功罪多い組織であるといえる。しかしながら東日本大震災の発災が、郷土芸能を生み育んできた自然の脅威と偉大さを再確認させ、「郷土芸能とは何なのか」「全郷芸の役割とは何なのか」をあらためて、我々に考えさせるきっかけを与えてくれた。

2020年の東京オリンピック・パラリンピックに際し、全郷芸としてもし全国各地の豊かな郷土芸能をその荒波に巻き込ませていくことになるのであれば、これまでの全郷芸のあり方を見つめ直し、震災で得た新たな価値観を踏まえた組織にシフトしていかねばならない。全国組織として、日本から郷土芸能を通した日本文化の価値の向上や、急激な経済成長を終えた先進国がこれから直面するだろう課題に対し、東日本大震災からの郷土芸能復興モデルを軸として世界に先駆けて示していく機会とすべきだろう。

かつての郷土芸能の担い手たち・先人たちがそうだったように、未来永劫平和にその地で暮らしている子孫を想像できるのが「郷土芸能」である。郷土芸能を伝える地域が、2020年を通して何を残していくのか、誰が残り、担っていくのか、どんな決断をするのか。郷土芸能を伝承し、職業とし、これからの日本の未来を継いでいく世代として、より多くの方々の協力と協同を仰いでいきたい。

(2017年1月12日)

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