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JR総武線錦糸町駅のガード下に、あるいは駅に程近い公園のブランコに、小柄でいつも黒い服を着たちょっとおしゃれなホームレスの老婆がいる。10年くらい前は髪型もストレートの「ワンレン」で後姿は20歳代のように見えた。明らかに他のホームレスたちとは違う。彼女はいったい何者なんだろう。そんな疑問とともに、私は彼女についてちょっとしたストーリーを考えていた。私は高校時代まで神奈川県の山の方のまちで育ったのだが、たまに横浜まで買い物や映画に行くこともあった。まだ猥雑でカッコよかった横浜に、メリーさんという伝説の娼婦がいて、彼女を題材にした映画も作られていた。学生時代、私はなんとなくそのメリーさんと話してみたいと思っていた。もちろん会ったからどうなるってことではない(実際私が学生の頃のメリーさんはお婆さんになっていたのだし)。メリーさんには家がなく仕事のないときは顔見知りのクラブやバーで眠るのだとか、彼女がストリートに立つときはいつも白い服しか着ないのだとか。そんな伝説というか小説の主人公みたいな人と話してみたいと思っていた。
就職して結婚し、錦糸町の近くに住むようになって初めてそのホームレスの黒い老婆を見たときは、変わった人だなとしか感じなかったのだが、だんだんと、もしかしたら彼女はメリーさんなんじゃないかと思い始めた。横浜から錦糸町にやってきて、白い服を捨てて、でも同じモノトーンの黒しか身につけない。横浜と錦糸町は総武横須賀快速線一本でつながっている。たったそれだけのことなのだけれど…。でも、彼女に話しかけたことはない。あくまでも自分の想像のなかでのフィクションにしておきたかったのだと思う。
さて、前回の福井さんに倣って前置きを長くしてしまったが(というのはウソです、長くなっちゃったんです。ごめんなさい)、私は東京江東区の出資する財団法人江東区地域振興会の職員として公立ホール「ティアラこうとう」で主にコンサートの企画や制作をしている。娼婦とは関係ない。 江東区は錦糸町のある墨田区の南側にあり、臨海部まで広がる結構広い区だ。最近は新しいマンションやショッピングモールなどがどんどんできていて、区民も年々増えている。そして、実はほぼ全域が埋め立て地だ。埋め立ては江戸時代より前から始まり、江戸時代にはお寺や武家屋敷が江戸の中心から移ってくるような新興住宅地だったらしい。戦後の一時期は江東ゼロメートル地帯とか「夢の島」で有名なゴミ戦争だとか結構暗いイメージがあったのだが、今はきれいに区画整備された近代的なまち並みと江戸庶民文化の残る地域として、そして都心に近く手頃な価格で若い世代でも不動産を購入できるエリアとして人気がある。江東区の一般的なイメージはいわゆる「下町」なのだが、浅草のように観光客でごった返すような所ではない。「現役の」というと変だが、時代劇の題材になりそうな史跡なども、生活の横っちょにごく自然に存在しているという感覚。で、人は今でも人情味があってあったかい、祭りもしっかり存在している。そんな所。なので、江戸文化やそれにまつわる伝統工芸などは江東区の売りなのだ。しかし、私はここ数年歴史や伝統と対極的なおもしろい現象に注目している。
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当財団で運営する「深川江戸資料館」江戸時代の深川佐賀町の一角を再現しています。オープン当時はまだそこかしこにあった長屋も時代とともに消えていき、今や館内に立てた長屋建築が史跡的意味まで持ってきているそうです。
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江東区と墨田区には、実は演劇のスタジオや小劇場、美術館、ギャラリー、コンサートホールなどがかなり集まっている。具体的な名前を挙げると、演劇では、ベニサンピット、シアターX(カイ)、セゾン文化財団の運営する森下スタジオ、さまざまな劇団やダンスカンパニーもレジデントするすみだパークスタジオ。美術では、東京都現代美術館、ゴム製品工場をリノベーションした向島の現代美術製作所、奈良美智や村上隆を排出した小山登美夫ギャラリー。ホールでは、アサヒビールの運営するアサヒ・アートスクエア、労働組合の運営する門仲天井ホール、公立のすみだトリフォニーホールに私が勤めているティアラこうとう。これらのホールやスタジオにはレジデントカンパニーも多く、ベニサンピットにはシアタープロジェクト東京(TPT)、ニナガワスタジオ、すみだパークスタジオには劇団扉座、ドラスティックダンスO(オー)、エアリアル・アート・ダンス・アカデミー、トリフォニーホールには新日本フィル、そして、わがティアラこうとうには東京シティ・フィルと東京シティ・バレエ団。レジデントアーティストのいない“ハコ”もアーティストの発掘や育成に積極的なところばかりだ。共通するキーワードは“現代”。つまり、どこも“今”新しいことを生み出そうとしているところばかりだ。一般的には江戸時代からの歴史と伝統が売り(というかそれしかない)と思われている東京の東側には、先端の“現代の”芸術家たちが数多く拠点を作りはじめているのだ。
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ここが職場です。都立猿江恩賜公園の中に立っています。
大ホール1234席、小ホール140席。会議室や練習室もあります。
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提携団体の東京シティ・フィルと東京シティ・バレエ団が同じ舞台に立つ、ティアラオリジナル公演。区民まつりに併せて開催し、チケットは何と3,000円!写真は、黄凱、志賀育恵、指揮:田中良和
撮影/寺田真希
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これは、先ほども書いたようにおもしろい現象だと感じている。古い工場の跡地や倉庫などに先端のアーティストたちが集まってまちが活性化していくなんて、ニューヨークのソーホーやチェルシーみたいじゃないか!そう考えていくと、まちは碁盤の目に整備されているし、ちょうど隅田川の左岸にみんな集まっている。ますますNYっぽい。そんな妄想を膨らませて、とうとう昨年、アサヒビールの主催する全国を舞台にしたアートフェスティバル、アサヒ・アート・フェスティバルの中で、これらのアーツスポットをネットワーク化していくためのグループ“すみだ川アーツのれん会”を立ち上げさせていただいた。まだまだ、ちゃんと活動できてはいないが、隅田川の左岸をマンハッタン(ハドソン川の左岸)やパリのセーヌ左岸に見立てて、アーツをきっかけにまちを活性化させていく活動に力を入れていいきたいと考えている。観光やグルメ、カフェ、ワークショップ etc.、アートと組み合わせていくと、どんどん魅力が出てくるものばかりだ。きっちりと歴史(江戸文化)が残っていて、現代のアーティストたちが集まり始めている。世界に誇れる東京ローカルの文化が生まれるのはきっとここからなんだ。こんなおもしろい場所は他にない、とすら感じる。
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すみだ川を航行する水上バスの船上でコンテンポラリーダンスを披露。浅草観光のみなさんが、先端のアートに触れる瞬間。写真は、「ほうほう堂」が船にお客様を迎えているところ。
撮影/曽我高明(現代美術製作所)
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中学時代の美術教師は、作品は全部作らずに観る人の想像力を借りて完成させろと言っていた。それが、図画工作と美術の違いだと。ちょっとカッコつけて言わせてもらえば、アーツマネジメントは想像力を働かせて、アーツとまちや人、時代や土地などとの間に、ちょっとした物語を創っていくことなのじゃないだろうか。そんな風に思う。
さて最後に、またメリーさんについて。最近メリーさんを題材にしたドキュメンタリー映画が製作された。職場に届いたチラシでその作品のことを知ったのだが、そのパンフレットにはメリーさんの横顔の写真が載っていた。高校時代からなんとなく憧れていたけれど、一度も見たことがなかったその顔を、写真ではあるがとうとう見ることができたのは、この仕事をしていたおかげだ。錦糸町の老婆は最近あまり見かけなくなり、自分でも忘れかけていたのだが、その写真の女の人.....は書かないでおこう。そして私は、やはり錦糸町の老婆には話しかけないのだ。このあとも、ずっと。
(※実際のメリーさんは昨年1月に郷里で息を引き取られたそうです。ご冥福をお祈りします。)
(2006年10月20日)
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