アートマネジメント事始め

文化政策とは

 「大学で何を教えているのですか」と聞かれて、「文化政策とか、アートマネジメントとか...」と答えますと、アートマネジメントについては最近はかなり理解がいきわってきたのか、「文化事業の企画や運営ですよね、ぜひ授業をお聞きしたいですね」といった期待の声がかえってくることが多くなりましたが、文化政策については反応がいまひとつといったような感があります。反応があるとするとたいていは、「いや、日本の文化政策は海外に比べると遅れていますね、第一文化予算があまりに少ないですし、先生がんばってください」といった感じなので、こんどはこちらがとまどってしまいます。

 アートマネジメントや文化政策というと、このように近年は芸術文化の振興という形で望ましいものと受け取られることが多いのですが、アートマネジメントについてはそれは決して的外れではないものの(文化事業の企画・運営というのはやや狭い見方ですが)、こと文化政策となると、後で触れますように、文化の統制・抑圧の歴史の方がずっと長かったように、単純に望ましいものと期待するわけにはいかないものなのです(日本でも20年ほど前までは文化政策というと、年配の方々の中には警戒する人も少なくありませんでした)。

 文化政策が芸術文化の振興をめざすものという見方は、第二次大戦後になってはじめて、日本や欧米自由主義国において成立してきたもので、しかもそれらの国々においても1970年代あたりから批判を受けている、きわめて一面的な捉え方なのです。
 最初から、やや硬い話になってしまいましたが、以下、文化政策とは何か、定義的なことや、その歴史について簡単に述べていきたいと思います。

 まず「文化政策」を、「文化」と「政策」に分けてその意味を考えてみましょう。
「文化」とは極めて多義的な言葉で、英語で言う「culture」の意味に絞っても、

(1) 社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体(言語・習俗・道徳・宗教、種々の制度など)
(2) 学問・芸術・宗教・道徳など、主として精神的活動から生み出されたもの
という2つをあげることができます(三省堂『新辞林』より)。そしてこれらの関係は、後者の人間の精神的活動の成果が積み重ねられることで、前者の特定の社会における特徴的なスタイルが形成されると考えられます。
 他方「政策」とは、「政治の方策」すなわち「(政府等が)一定の意図を実現するために用意される行動案もしくは活動指針」(平凡社『世界大百科事典』)のことで、民主主義の社会では、国民・市民の「こうありたい、こうしよう」という思いをもとに、それを実現するための具体的なアクションプランをつくりあげていくことになります。
 したがって文化政策とは、人びとの精神的活動を促進(あるいは統制)し、そうした文化的成果の共有と蓄積を推し進めることで、私たちの暮らす国なり地域社会のあるべき文化イメージ ── 国民・市民によって習得・共有・伝達される行動様式や生活様式 ── を形成していくことといえるでしょう。
 しかし、今日の社会はきわめて多様な価値観が存在し、あるべき文化イメージも人によってそれぞれ異なります。これからの文化政策のあり方を考えていくために、次にこれまでの文化政策の歴史を簡単に振り返ってみましょう。

 さてこうした文化が政策の対象となったのは、近代以降のことです。それ以前は、今日でもお祭りなどがそうであるように、文化は専ら共同体の中で培われていました。文化に関わる決定は、村では長老たちの寄り合いが、町では商工業者の組合や富裕なパトロンが担っていました。
 近代になって、こうした共同体中心の文化は二つの大きな変化に出会いました。第一は政治上の変化で、17世紀あたりからヨーロッパでは、文化的集団である「民族」を軸に国家を形成するという動きが始まり、国民としてのアイデンティティを確立するために、一部の文化領域(主に言語や国民的文化遺産など)に政府が関わるようになりました。第二は経済的な変化で、近代社会は自由な経済活動を保証しましたが、これにより文化活動も共同体から解き放たれ、一方で研磨され洗練されてその普遍的な影響力を増していきましたが、他方で市場の渦にまきこまれることでその商品化が進行しました。
 したがって20世紀前半までの文化政策は、国民の文化的統合や国家的栄光といった政治的な色彩の強いもので、一般の芸術文化活動は基本的に公権力の及ばない自由放任主義的な個人的自由の領域とされ、著作権など市民関係の調整を除くと政府はいっさいの文化関係には関わらないという考え方が基本でした。

 表現の自由に基づく芸術活動振興や文化財保護などを軸とする今日的な文化政策が確立されたのは、第二次大戦後のことです。その転換の背景には、戦前までの文化政策の持っていたナショナリズム的な色彩 ── 特に、ナチス・ドイツやスターリン・ロシアに代表される政治的目的への文化の利用や統制 ── への反省と、市場経済の中で伝統的な文化や先端的な芸術が淘汰されていくことへの対策といったことがありました。しかしその進め方は、国によってずいぶん異なり、実にさまざまですが、こうした世界の多様な文化政策については後述することにして、次回は日本の文化政策の実態──「欧米に比べて遅れている」というのは本当か、考えてみましょう。

(2008年2月6日)

 

プロフィール


伊藤 裕夫
(いとう やすお)
富山大学芸術文化学部教授

1948年、大阪に生まれる。1972年東京大学文学部卒後、(株)電通入社。プランニング室、PR局企画部を経て、88年より電通総研へ出向、アーツマネジメント、文化政策および民間非営利活動を主な研究テーマとして取り組む。2000年4月、静岡文化芸術大学教授に就任、同大学大学院文化政策研究科教授を経て、06年4月より現職。立教大学大学院(21世紀社会デザイン研究科)、東京大学大学院(人文社会研究科文化資源学専攻)にても非常勤講師。著書に、『NPOとは何か』(共著・日本経済新聞社、1996)、『文化経済学』(共著・有斐閣、1998)、『アーツマネジメント概論』(共著・水曜社、2001)他。
文化・芸術と社会の出会いを、文化・芸術組織の運営や文化政策という観点から調査研究する同時に、その実現に向けた活動に取り組んでいます。これからは、文化・芸術分野における民間非営利組織の可能性に注目し、これからの市民社会における文化・芸術の支え手を育成していきたいと思っています。

おすすめの一冊

『文化政策学 ─ 法・経済・マネジメント ─ 』
後藤和子編
有斐閣コンパクト
2001年
『文化政策を学ぶ人のために』
上野征洋編
世界思想社
2002年)