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被災地におけるアートによる復興支援活動の課題と展望

「トヨタ子どもとアーティストの出会い」実務担当者会議を取材して

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災から半年が経過した。「もう」という思いと、「まだ」という思いが複雑に交錯する。この6か月間、被災した方々がそれぞれの現状に向き合い過ごしてきた時間と心情は計るに余りあり、また被災地以外の人々にとっても、震災はこれまでのライフスタイルや価値観、人間関係や生き方について振り返る契機となった。

 震災はアートの分野にもさまざまな影響を及ぼした。震災後しばらくの間は、自粛ムードや原発事故の影響で海外アーティストの来日キャンセルや美術品の貸出中止が相次ぎ、多くの文化・芸術関係のイベントが中止となった。また貴重な文化資財やアートの活動拠点なども失われた。震災直後アート関係者のなかには無力感と文化活動を行うことへの後ろめたさを感じた人もいたという。しかし、程なくして国内外のアーティストや文化関係者、アートNPOや企業の社会貢献部門などが次々と立ち上がり、アートによる復興支援や募金活動、支援活動への寄付や助成を始めた。いまやその動きは拡大し、それぞれが被災者支援のためアートにできることを模索、実践している。その1つとして、2004年からトヨタ自動車が全国各地のNPOと協働で実施しているプログラム「トヨタ子どもとアーティストの出会い(以下:子どもXアーティスト)」でも、これまでの実績をいかした被災した子どもたちのためのプログラムを検討している。そこでネットTAM事務局では、全国の開催地から13人のコーディネーターが参集し宮城県本吉郡南三陸町および同県大崎市東鳴子温泉で開催された「子どもXアーティスト」の実務担当者会議を取材し、今後の被災地でのアートによる支援活動のあり方について考察することとした。

 本題に入る前に、宮城県での会議開催にいたった経緯を説明しておきたい。2009-10年度の「子どもXアーティスト」は、宮城県内の4つの小学校で開催された。その後震災が起こり、「子どもXアーティスト」では、おそらくこのようなプログラムを必要としている被災したこどもたちのために、県内でのプログラムの継続を検討している。今回訪問した南三陸町は、宮城県版プログラムのコーディネーターを務めたENVISIの吉川由美氏が震災前からまちの人たちとアート活動を行っていたところで、吉川氏の尽力で今回の視察が実現した。

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ENVISIのプロデューサーの吉川氏。
着用しているTシャツは、きりこをデザインしたもので、
震災後「きりこブランド」として商品化した。
売上は「彩プロジェクト」の活動資金にあてられる。
購入ご希望の方は までメールをお送りください。

 南三陸町は、今回の震災で最も被害の大きかった地域の1つで、津波により沿岸部はほぼ壊滅状態、1000人以上の方が犠牲となり、まちの住宅の約7割が流失し人口1万7000人ほどの住民の半数以上が避難生活を余儀なくされた。吉川氏のプロデュースにより2010年に行われた「"生きる"博覧会」では、まちに嫁いできた女性たちが中心となり、地元の商店や旧家に取材して学んだ地域の歴史や人々の思い出を、この地方の神社の伝統的な正月飾りのきりこに表現し、650枚のきりこがまちなかに飾られた。「彩プロジェクト」と名づけられた彼女たちの活動は、まちの人々の交流を促しただけでなく、プロジェクトにより生まれた創造の力はさまざまな波及効果を及ぼし、まちへの誇りや新たなコミュニティー・ビジネスのプランを生み出した。津波はそんな希望にあふれたまちを一瞬で奪っていった。

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元醤油屋の旧家に飾られた、屋号と醤油の樽をデザインしたきりこ。

 震災から5か月が過ぎた南三陸町は、以前よりはかなり片付けられたというものの、いまだ一面がれきに覆われ、残骸と化した建物には津波の爪痕が生々しく刻まれている。津波で市街地は壊滅し、駅や線路も流失した。がれきの山の中で、小さなコンビニや店が営業を始めていたが、依然まち一体に無数に散らばるがれきの量に、津波のすさまじさとともに、今後の復興の道のりの長さを実感した。

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高台にある志津川小学校からの現在の志津川地区の全景。まちの中心だった同地区は津波で壊滅状態となり、一部残存するコンクリートの建物も内部が破壊され今は無人の状態である。
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いたるところに散在するがれきの山

 今回の会議では小学校の先生や南三陸町の佐藤仁町長、宮城県庁震災復興・企画部の職員の方などから、学校や子どもたち、被災者の方々の状況などについて話を聞いた。
 先生方との懇談会では、南三陸の学校の現状が徐々に明らかとなり、未曾有の事態に対する現場のとまどいと苦悩が伝わってきた。震災により校舎が被災し、全壊した学校の児童たちは他校に間借りしたり、廃校を利用して授業を続けている。震災後多くの被災者が町外に避難したため児童数は減少。5月から学校が再開されたものの、学校の一部は避難所として利用され、電気は6月、水道は8月にようやく復旧した。公園などが失われ子どもたちの遊び場がなくなり、狭い仮設住宅で暮らす子どもたちのストレスや学習環境の確保が懸念されている。子どもたちのなかには集中できない、また乱暴な言動といったケースも確認され、子どもたちが震災で体験した恐怖や環境の変化から心理的な影響を受けていることもうかがわれる。一方自身も被災し家族を失いながらも、余震が続くなか児童の安全を確保し、学習の遅れを取り戻すための授業の配分や学力の保証、また児童の心のケアに苦慮されている先生たちの様子も見えてきた。
 学校でのアーティストによるワークショップ開催の可能性については、「とにかく本年度は現場は手一杯」という回答だった。先生方との懇談会では、現状に対応するのが精一杯の現場の状況が浮き彫りになり、外からの働きかけが新たな負担になりかねないことを痛感した。また、困難な状況でがんばっている被災地の先生方や子どもたちを孤立させないために、必要なときにすぐに手を差し伸べられる外部ネットワークとの連携が必要だと感じた。

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まちの内陸の高台にある入谷小学校で行われた先生方との懇談会には、仙台から3人の小学校の先生と町役場の産業振興課の方なども同席し、被災地の子どもたちの状況が報告された。

 佐藤町長は、防災対策庁舎で津波にあいながらも九死に一生を得、自身も被災しながらまちの復興に奔走されている。当時小学3年生だった51年前のチリ地震の津波の体験が今でも自分の中でトラウマになっており、今回その3倍以上の津波を体験した子どもたちの心の傷は計り知れないと語り、そうした子どもたちへの外部からの支援活動を歓迎すると述べた。また町長との会話では、前例のない甚大な被害に試行錯誤で対応している行政の現場の様子もうかがえた。

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佐藤仁町長との面談の様子

 今回の会議にオブザーバーとして参加していた宮城県庁の職員の方の話では、生きる気力を失った被災者の方々の心境とそれを受け止める職員の苦悩、また行政として甚大な被害を受けた被災した人々をどのように支えていけばよいのかという戸惑いや歯がゆさなどが感じられた。被災者の多くはみな復興には自分たちが立ち上がらなければならないと気づいているが、背中を押してくれるきっかけが必要で、周りから協力を得ながら、被災した人自らが行動を起こすことが大切だという言葉が象徴的に響いた。

 以上のような現地の状況を踏まえ、実務担当者会議では、「子どもXアーティスト」の被災地での活動の可能性について活発な意見交換が行われた。コーディネーターたちからは、南三陸の現状を目の当たりにした衝撃やとまどいとともに、学校において非常時でも授業の確保やカリキュラムの消化が優先されていること、そのなかで本来子どもにとって大切なことにまで手が回らない現状への懸念などが率直に語られた。さらに、「このような状況下だからこそ発想の転換が必要であり、カリキュラム一辺倒でない新しい考えや手法を受け入れてプラスにいかすチャンスなのではないか」、「震災後南三陸の子どもたちは遊び場もなくストレスの多い日常生活を送っており、今彼らに必要なのはつらいことを忘れて夢中で楽しめるもの、子どもらしく過ごせる時間だ」などの意見があがった。現在子どもたちが置かれている状況下で、平時と同じ基準とカリキュラムで目標とされる成果を生み出すことは難しい。非常時にはその状況に対応した新たな基準と異なるアプローチを検討することが、目標達成の近道となるのではないだろうか。

 コーディネーターたちは続いて、学校がぎりぎりの状態にあるならと、仮設住宅など学校以外の場所、また課外活動における開催の可能性について検討した。活動案としてさまざまな有効事例が紹介された。福島県相馬郡新地町の仮設住宅でのアーティストによる「マイタウンマーケット」と題した仮設住宅の市場、石巻の仮設住宅での美術講師による表札づくりの活動、また岡山の「子どもXアーティスト」で行われた、ワークショップで製作した縁側を活用し交流の場をつくりだすプロジェクト「縁側づくり縁づくり」など。「子どものいる場所でアーティストとの出会いをつくる」という「子どもXアーティスト」のプログラムの趣旨は、学校以外の場所でも実現可能であり、仮設住宅などでの開催は、コミュニティー形成においても相乗効果が期待される。同時に仮設住宅で活動を行うことの難しさについても議論が及んだ。南三陸では仮設住宅への入居が進んでおり、阪神・淡路大震災を教訓に、仮設住宅に集会場が設置されたが、いまだコミュニティーづくりのために上手に活用されていない。まちには現状人々が自由に集まれる場所がないため、仮設住宅での実施においてはそうした状況を踏まえ住民の人たちとの信頼関係をきちんと築いた上で行うことが不可欠だ。

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東鳴子温泉で行われた実務担当者会議

 さらに南三陸のおける活動において、甚大な被害による行政機能の低下や人材不足、また震災直後よりもまちが復興に向かって歩き出した今のほうが外からの介入が難しいなどの問題がある。活動を行うにあたり、地元で外部への窓口となり、内部で各関係機関との調整をするコーディネーターの必要性が指摘された。宮城県では今後復興支援員を被災地に配置する予定で、彼らが外部からの支援活動に対する窓口になることが期待されている。外部機関の活動の実施にあたっては、地元の関係機関からコンセンサスを得て自由に動けるコーディネーターを介して、現地の関係者と話し合いを重ね協力・理解を得ながらプロジェクトを実行し、実際に効果を見て納得してもらう手法が話し合われた。そのほか、ある会議参加者は、今後のまちづくりやプログラム実施において、未来を担う子どもたちの声を積極的に反映させることの重要性を強調。それを受けて別の出席者は、島根県隠岐の島の海士(あま)町の中学生が、東京での修学旅行中都内の大学で海士町について発表する事業にふれ、南三陸の子どもたちが地元の復興の様子をプレゼンする企画を提案した。何もないところから何かを生み出すことはアートの真骨頂であり、南三陸でも有効な手段になり得る。アート活動により地域のさまざまな問題に取り組んでいる百戦錬磨の「子どもXアーティスト」のコーディネーターたちならではの、実践的かつ俯瞰的な戦略や提案である。

 会議は具体的な活動計画までにはいたらなかったが、「子どもXアーティスト」では、引き続き被災地での活動の可能性について検討していく予定だ。今後は今回面識のできた先生方や関係者と継続して連絡を取りながら支援の機会を待つ一方、通常行ってきた学校でのワークショップという形態をとらなくでも、「子どもXアーティスト」のネットワークをいかした別のかたちでの支援方法を模索していく。そのためネットワークでは、開催校やアーティストを含めた協調体制や情報交換の強化、効果をあげたプログラムのモデル化と同様の問題を抱える他地域での応用、さらに積極的な実践発表を行っていくことを確認した。「子どもXアーティスト」にとっても、被災地における活動についての議論を通して、本来の活動の目的や手法、課題そして今後の方向性などを全国のコーディネーターたちと確認・共有できた貴重な機会となった。

 2日に渡る「トヨタ子どもとアーティストの出会い」実務担当者会議の取材では、被災地の子どもたちへのソフト面の支援の緊急性や重要性もさることながら、今後被災地でアートによる支援活動を行う際に考慮すべき被災地の複雑な状況や、活動を行ううえでの課題や可能性についてさまざまな示唆を得ることができた。震災から6か月、仮設住宅への入居も進み、被災者支援は一区切りを迎えた。今後はまちの復興と被災者の生活の再建や心のケアなど長期戦の支援が本格化する。そのなかで、アートによる復興支援も一時的なイベントではなく、地元の人たちと一緒に取り組む息の長い活動が求められてくるだろう。今回の取材で人々が何度も口にしたのは、地元の人たちの「復興する」という意志の大切さだった。外部からの支援においては、地元の人たちと密接に連携をとり、当事者主導の復興を手助けしていくことが重要である。その際、ノウハウやリソースの提供にネットワークが大きな役割を果たすはずだ。

 この震災からの復興は、戦後や過去の震災におけるハード重視の復興とは異なり、アートの役割が期待される。私たちはアートが各地域でコミュニティーの再生や地域経済に果たした成果を知っている。被災地でのアートによる支援活動では、これまでの有効事例を効果的に活用しながら、同時にそれらの事例の検証を行い、期待される効果を導き出すための方法論を確立していくことも重要だ。被災地復興の最優先の課題は地域経済の再生と雇用の創出だが、未曾有の事態の打開には発想の転換が鍵となり、アートの持つ創造性や想像力が大いに効果を発揮するだろう。ネットTAMでは今後も引き続き、被災地でのアート活動について定期的にレポートし、震災復興におけるアートの役割や可能性について考えていきたい。

[注]

トヨタ子どもとアーティストの出会い http://artists-children.net/
トヨタ自動車の社会貢献活動のうちの「人材育成」分野における次世代教育事業で、全国各地のアートNPOと協働し、学校や児童館、また病院において、現代美術のアーティストによるダンスや音楽、美術などのワークショプを行うプロジェクトである。普段閉ざされがちな人間関係や社会環境で暮らす子どもたちが、アーティストの創造性に触れることで、豊かな感性や多様な価値観を養うことを目的としている。また、この事業を通して各地のアートNPOなどのコーディネーターの育成・支援も目指している。これまでの8年間に全国10地域/40ヶ所で開催、延べ4,804人の子どもたちが参加し、各開催地では地域の特色をいかした個性豊かなプログラムを行っている。[本文へ戻る

「子どもとアーティストの出会い」実務担当者会議
毎年1回運営事務局と全国の開催地のコーディネーターたちが集まり活動の報告や情報交換を行っている。[本文へ戻る

取材概要

  • 取材日:2011年8月24~25日
  • 取材地:宮城県本吉郡南三陸町および大崎市東鳴子温泉
  • 取材先:「トヨタ子どもとアーティストの出会い」実務担当者会議
  • 取材者:ネットTAM運営事務局(公益社団法人企業メセナ協議会 菊池敦子)

ネットTAMメモ

 南三陸町では、お盆に今年も静かに「"生きる"博覧会2011」が開催され、追悼集会、きりこの展示、送り火音楽会などが催された。すべてを失っても、震災前の活動の精神をつないでいこうという強い意志を感じた。南三陸の人々が「きりこプロジェクト」でコミュニティーに芽生えた力強いエネルギーを忘れない限り、これまで以上の南三陸町に生まれ変わる日が必ず来ると信じている。

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今年の「"生きる"博覧会」では、津波で失われたきりこの代わりに、全国から寄せられたきりこが臨時役場の隣のベイサイド・アリーナ内に展示された。
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