分科会F+総合セッション

「美術館と社会」実行委員会
美術館と社会
美術館の位置する社会を描く

総合セッション
「なぜ、いまアートなの? アートの力、アートの社会的価値を考える」

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総合セッション

※「舞台は高級クリニック、パネリストは著名なカウンセラー」という設定で行われた総合セッションは、分科会企画運営団体の代表者が、フォーラム応募の動機となった問題意識や参加者と共有したい課題、分科会実施後の思い等を2分程度でプレゼンし、パネリストが感想やアドバイスを述べるという内容。なお、代表者は「分科会実施前の問題意識」も事前に“カウンセラー”に提出している。
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総合セッションでの分科会代表者の質問内容

美術館の未来像を語るときにいつも感じていた違和感が出発点。90年代後半には美術館と社会との関係性は数多く論じられたが、多くの場合、「社会が変化したので、美術館も〜変化していかなくてはならない」という類のものだった。理想の美術館像が規定されており、そのエクスキューズとして「社会の変化」が用意されるという形式を持っていた。アートマネジメントでよく使われるキャッチフレーズ「アートと社会をつなぐ」も、前提としてアートと社会は分離しているものだと考えていることになる。今回のフォーラムテーマが「アートの社会的価値を考える」だったので、この場を借りて、美術館やアートの基盤となる「社会」を少しでも考えられたらと企画した。指定管理者制度の問題に議論がかなり引っ張られた。議論は必要だが、なぜこれだけ指定管理者制度にこだわって美術館の議論をしなければならないのかにも関心がある。

(「美術館と社会」代表 光岡寿郎)

映像記録

※推奨環境:映像はFLV(Flash Video)形式です。ご覧いただくには、Macromedia Flash Player が必要です。
※出演者の所属はフォーラム開催時のものです。

レポート

当日来場者

計69名(うち報道関係者2名)

分科会詳細

14:00〜15:00  パネリストによるレクチャー

最初に光岡から、当分科会の切り口として「美術館と社会」を論じる上での理論的な枠組みが提示された。光岡は、「美術館と社会」をともに一面的なコンセプトとして扱うのではなく、「美術館から社会」へと連なる重層的な社会のうちのあるカップリングとしてとらえることの重要性、またある「美術館と社会」にまつわる言説の送り手と受け手の当該社会における位置価の認識の必要性を指摘した。

続いて稲庭は、第二次世界大戦後に社会教育施設として歩み始めた日本の博物館・美術館が、高度経済成長期に地方自治体のステータス競争のなかでその性質を変容させていくさまを描いた。

住友は、稲庭の発表を時系列的に受ける形で、80年代後半の高度資本主義を時代背景としていた百貨店美術館、そして90年代以降注目を集めているオルタナティブスペースやメディアセンターの成立過程について紹介した。

最後に藤高から、現在の美術館の可能態についての発表があった。プライベートセクターで感じる社会の変化を反映させながら、インターネットを媒介とした共有知が知の集積庫としてのミュージアムの相対的な社会的地位が低下するなかで、より積極的に知の生産者として働きかける新しいミュージアム像に対しての提案がなされた。

15:00〜15:50  パネルディスカッション&質疑応答

後半部では、最初に現場で20年以上学芸員の経験を持つ天野から全体の総括を行った上で、指定管理者制度を中心にいくつかの現在美術館が抱えている問題が話し合われた。論点として提示されたのは、美術館の社会的なインフラストラクチャーとしての価値の問題、また、公的な機関として抱えられてきた美術館が急速にプライベート化されている現状におけるビジネスモデルの立案の問題など。

質疑応答のなかでは、やはり天野が紹介した横浜美術館の事例を含め、美術館サイドのスタッフの経営感覚に対しての現状認識の甘さが指摘されていた。また、指定管理者制度を改めて論じることのアクチュアリティに関しての疑義も指摘されていた。



成果と課題

1か月を経てようやく客観的に振り返ることができるようになったところだが、当分科会の評価はきれいに二分されていたように思う。まず、総合セッションでの酷評も含め、美術館の現状をこの10年、20年のサイクルで見守ってきて、既に十分な知識を持つ参加者にとっては知っていることの繰り返し、また指定管理者制度に関しても議論の項目として採用するのであれば、より新しい視点が望まれていたようにと思う。

一方で、分科会が相対的に力点を置いていた、これからこの問題に関わっていきたいという参加者に対しては、それなりの評価を得ていた。「美術館と社会」という視点それ自体があまり共有されていない現状を考えると、このような分科会に対しての肯定的な声を聞くことができ点に関しては、成果と言えるだろう。

全体としては、美術館と社会との方法論的な関係性、歴史的な背景の情報の提示視点の点でまとまっていたとは思うが、斬新さに欠けたのは反省材料。もう一点は、今回の分科会は指定管理者制度に的を絞ったものではなかったのだが、結果的に多くの時間が後半部で割かれてしまった。これは進行上、また分科会のデザインとして改善の余地を残していた。

最後に、次回以降への提案を一点。結果として、当分科会に関しては参加者と分科会の間にミスマッチがあったのではないだろうか? もともとかなりコンセプチュアルな議論を想定していたが、分科会にいらっしゃる参加者の全体像を想定しながら最終的には、中途半端なレベル(抽象的⇔具体的の軸)で分科会を進行させてしまったのは反省材料。今後、同様の形式で分科会を振り分けるのであれば、内容以外にも、発表の形式(学会⇔パフォーマンス)、内容のレベル(「これから」⇔「もっと」)など、選択する上での幾つかの指標を簡単なチャート形式で提示しておくと、ミスマッチを減らすことができるかもしれない。また、分科会紹介を媒体化する段階で、分科会側としてもはっきりと観衆像を示すべきだったのかもしれない。例えば、「アートの社会的価値」の欄を、「こんな参加者と議論したい!」のような形にしておくと、両者にとってプラスにだったようにも思われる。



当日配布資料


(文責:「美術館と社会」実行委員会 光岡寿郎)

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