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循環式巡礼の地を舞台にした総合アート

四国八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト

歩き遍路ほどすてきな体験はない

 昨年と今年の春、家内とともに、2年続けて四国遍路に挑んできた。四国八十八ヶ所を、一度にすべて歩き通すという、いわゆる通しの歩き遍路を2回してきたことになる。1周が約1200キロだから累計2400キロ、これを両年ともに約50日でカバーしたから、1日平均でおよそ25キロ弱と歩いた。
 雨が降ろうが風が吹こうが、連日25キロ歩き続けるというのは、はっきり言って楽なことではなかった。全行程を歩くことを条件に遍路に出かけても、けがや故障、病気など、さまざまな理由で断念する人が多いゆえ、それを完全に歩けた人は推定で20%とも30%とも、人数で言うなら、バスも含めて年間50万人と言われる遍路総数の中で、大体2000人弱という少数派である。それでも何とか二度とも最後まで歩けたのは、基本的にのんびりペースを守り、夫婦2人であるがゆえに、絶対に無理はしなかったからに尽きる。普通の人なら40日前後で歩き通すところを、私たちはゆっくりと50日もかけた。
 とはいえ、それでも楽ではないこと、イヤひどく辛いことに、どうして私たちは2度も続けて挑んだのだろうか? それを端的に言うなら、最初の経験があまりにもエキサイティングで、心に残ったからに他ならない。
 去年の4月末に歩き終えたとき、身体はすっかり疲れ果てて「もう二度と四国を歩きたくはない」と思っていた。それが今年の春が近づくにつれて、「また行こうか」という思いが次第に募ってくる。そして新年を迎えたときには、「やっぱりまた行こう」と決めていた。
 最初の体験は、それほどまですばらしいものだったのだ。50日の間、私たちはあたかも時空をスリップしてパラレルワールドに入り込んでしまったかのように、あるいはタイムマシーンで少年時代の日本に戻っているかのように感じていた。この間、ずっと異空間をさまよい歩いていたような独特の感覚に包まれていた。今年の春の到来が近づくとともにまたそれがよみがえってきて、どうしても四国にもう一度旅立ちたくなったのだ。
 一度四国の歩き遍路を経験すると、多くの人がこの感覚の虜になり、また何度か歩きたくなる。人によっては、その後の人生を、ずっと四国を回っておくるようにすらなる。それはしばしば「お四国病」と言われる。

「お接待」文化というもの

 こんな気持ちが生まれる理由はさまざまだ。厳しい修行の達成感、お寺に着いたときの凛とした空気、まったく新しい精神的体験など、人によってそれぞれだろうが、その中で一番大きなものは、遍路を取り巻く四国の風土に魅せられるからだろう。昔から大きくは変わらない自然風景もあるが、やはり心をもっとも動かされるのは、お遍路に対する四国の人々の優しさに触れられるからに他ならない。
 それこそこの土地が1100年を越える遍路史の中で育て上げてきた文化なのである。
 この文化をもっとも象徴するのが「お接待」という習慣である。これは遍路に対して与えられる有形無形の好意であり、支援であり、ギフトである。そしてその裏にあるのは、長い年月をかけて育まれた遍路を思いやる無償の善意であり愛情なのだ。
 その「お接待」の形はいろいろある。ねぎらいの言葉から始まり、飲食物、旅行用小物、一夜の宿などの無料提供から、直接に現金を手渡すことまで、さまざまな形で、地元の人は遍路を大事にしてくれる。
 特に金銭の接待には、慣れない人は驚く。歩いていると突然にクルマが止まって、中から降りてきた人が500円玉を差し出したり、まち角に座っている老婆が、歩き遍路を呼び止めて、5円玉を10枚ずつきれいにまとめたものを手渡したりする。明らかに遍路より裕福とは思えない人たちが、ときには数千円単位のお金を渡してくれたりする。
 遍路を大切にする。それを通じて自分自身の心も豊かにし、功徳を積む。自分は歩かなくても、同じ価値を共有するなどの説があるが、ともかく基本的には人を思いやり、自分ができる範囲で支援したいという、純粋のやさしさから出ている文化だと理解すべきだろう。
 その一つの象徴が、いま、四国中に建築が進んでいる「ヘンロ小屋プロジェクト」である。

女性遍路がまず名乗りを上げたプロジェクト

 このプロジェクトは2001年、建築家で近畿大学の教授である歌一洋(うた・いちよう)さんの発案で始まった。徳島県南部で生まれた歌さんは、幼児の頃から実際に遍路へのお接待を見知って育ったという。そして建築家になったとき、自分の作品のテーマを「祈り」と考えた歌さんが提唱したのが、「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」だったのである。
 遍路用の無料休憩所であり、場合によっては簡単に寝泊まりできるような施設は、それまでも四国にたくさん存在していたが、これをより積極的に進めようというのがこの計画だ。
 基本的な方針は下記のようになっている。まず最終計画は88ヶ所プラス1の合計89棟を目標とする。その小屋それ自体は歌さんが設計するが、そのときに重視するのがその土地に合わせた要素を入れることである。それは建築デザインに土地の記憶を入れる、あるいは周囲の環境に合わせるとか、はたまた地元の人々の気持ちを形に表現するなど、さまざまな造形言語が使われる。
 ただし一つだけ条件があるとすれば、そこに人という文字の形を象徴するモチーフを入れることだ。つまりお互いを支え合うという精神を、この人の文字が表現するのだ。
 さらに注目されるべきは、この計画のすべてがボランティア・ベースで進められるということである。地元の個人や企業が土地を無償で提供し、地域の人々が建設運営基金を寄付し、場合によっては建造そのものに労力奉仕という形で関わり、あるいは維持管理に携わり、これによって一棟一棟作り上げ、維持していくのである。
 このプロジェクトが発表され、2001年に徳島県立近代美術館で模型などによる特別展が開かれた。そのときに、まっさきにこれに共鳴したのが徳島県海陽町の野村カオリさんとおっしゃる女性で、その野村さんを施主としてこの年の12月に、ヘンロ小屋プロジェクトの第1号が「香峰」の名前で、この海陽町に作られた。
 野村さんは若くして亡くなられたご主人のために三度にわたって歩き遍路に出たが、当然女性ゆえ人並み以上の苦労をされた。足を休める場も少ないのに加えて、一番困ったのがトイレ問題だったという。喫茶店で借りたりしたものの、足を痛めたときには和式はとても辛かったという。
 そんな経験もあって、ともかく歩き遍路にとって快適な洋式トイレを備え、なおかつ最大限くつろげることができるような小屋であってほしいという野村さんの希望に応えて、歌先生が設計したのがこの第1号だった。

 以来、このプロジェクトに共鳴する人たち、あるいは企業が続々と名乗りを上げて、四国各地に多種多様なヘンロ小屋が設けられてきている。そして今年の8月にはついに第40号となる小屋が徳島県美波町の旧日和佐地域にオープンした。美波町はウミガメの産卵地で有名なので、小屋はカメの甲羅をモチーフとした六角形の屋根を持ち、ここを舞台に今年の春まで放映されたNHKの連続ドラマ「ウエルかめ」から、「カメ遍路」というニックネームを与えられた。

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これがプロジェクト第1号。徳島県海陽町の「香峰」。入り口のガイド標識が人という文字を表す。
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「香峰」の内部。仮眠や宿泊はお断りしているが(場所によっては可能)、これだけきれいに完備している。
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「香峰」は遍路ためのトイレを重視した。それにしても、これだけきれいに維持管理するのは大変だろう。でもきれいだと、利用する側もまたきれいに使うものである。
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プロジェクト第1号「香峰」誕生の経緯が掲示されている。
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徳島県神山に最近できあがった36号の「神山」。この土地を提供し、この建物の下にあるトイレを管理しているのも年配の女性だった。
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「神山」はこれだけ多くの人の協力と善意の上にできあがっている。

遍路にとっての心のオアシス

 このように設置されてきたヘンロ小屋を、私たちもずいぶん利用させていただいた。疲れ切ったとき、遠くに主として木を組上げて作られたその独特のシルエットが見えると、その瞬間、ほっとした気持ちになる。激しい雨に追われて、あるいは冷たい風から逃げるようにヘンロ小屋にたどり着いた時の気持ちは、簡単には表現できないものがある。
 救われた、助かったという思い、何ともいえない快適さにひたる喜び、そして次第に身体の疲れが抜け、そこに用意してあるお茶をいただくようになる頃には、心の底から感謝の念がわき出てくる。
 この小屋を考え、お金を投じ、ここまで作ってくださっただけでなく、無償で私たちの休息所として提供し、そのために水分や茶菓子、果物などを絶やさず、場所によってはきれいな水場やトイレを用意し、掃除までしてくださっている人たちのことを想像する。そうしていると、特に心身ともに疲れ切っているときは、目から熱いものが自然にこみあげてくるものだ。月並みな表現だが、文字どおり心のオアシスなのである。
 このヘンロ小屋プロジェクトは、四国全体を舞台にした、人々の善意と無償の愛が作り上げている総合アートだといっても極論ではないと思う。

 なお、このヘンロ小屋プロジェクトの詳細は、下記の「支援の会」のホームページで知ることができる。
 ▼「ヘンロ小屋だより」(「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」を支援する会サイト)

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第10号「宿毛」。高知県宿毛市。特異な二階建て建物は、この近くに昔たくさんあった「浜田の泊屋」を再現したものという。泊屋とは幕末から明治にかけて未婚の青年が夜警などのために使った建物で、後に公民館などに転用されたと伝えられる。現存するものは文化財として保存されている。
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第18号「丸亀城乾」(まるがめじょうけん)。丸亀の市内、丸亀城に向いて、狭い土地をうまく使って作られたヘンロ小屋。オレンジの構造材は、この地域の名産品、団扇の骨組みを表現している。漆喰壁には幼稚園児の手形が残っていた。
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第39号「NASA」。徳島県海陽町のリゾート施設、「遊遊NASAふれあい施設」の入り口にできている。NASAとは航空宇宙局とは関係はなく、この一帯が那佐といわれる地名のため。そしてここでおおうなぎがとれることから、うなぎを模したのがルーフの形状というが、何となくロケットを彷彿させたりもする。

(2010年8月27日)

今後の予定

  • 宗教関連を主とした建築を見学するのが好きなので、マヌエル様式建築を楽しむべく、9月から2週間少々ポルトガルをレンタカーで回る。
  • 時期は未定だが、フランスからスペインに向かう有名な巡礼道、サンチアゴ・デ・コンポステーラへの道を、元気なうちに歩こうと思う。もちろん熊野古道も。
  • 11月にアンコールワットで開かれるハーフマラソンに出場したかったが、これも未定。

関連リンク

おすすめ!

辰濃和男さんの『四国遍路』(岩波新書)
遍路に関する本は数多く出ているが、その中で優れているのは、やはり朝日新聞で天声人語を担当されていた辰濃さんの作品。この代表作の『四国遍路』のほかに、『歩き遍路』などがあるが、文章も内容も遍路関係の書物の中で最もお勧めできる。

また遍路に興味がある外国人にお勧めできるのは下記のサイト。これはへたな日本語のサイトよりも詳細で内容が濃い。
▼「四国八十八ヶ所巡り Pilgrimage to the 88 Sacred Places of Shikoku

ハワイ島コナマラソン
最近のマラソン・ブームで、ホノルルマラソンの人気が高いが、それよりも絶対にお勧めがこちらのイベント。毎年6月最後の週末にビッグアイランドで開かれるこれは、とてもローカルなイベントで、まさに地元の人々による手作りマラソン。海岸沿いの美しいコースは全体的にフラットだし、ホノルルのように何万人も出ない。しかもホストは、アメリカが生んだ名ランナー、フランク・ショーター。フル、ハーフ、10キロ、5キロ、どれでも前日までエントリー可能。

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一見、クールでシャープに社会を見つめるジャーナリストに見えるが、多くの優れたジャーナリストがそうであるように、何が本当に大切なのか、何を愛すべきか、そしてどんな社会や文化を私たちは希求すべきか、それを真剣に考え、行動してきた人。ニューヨークを主とした活躍の場にしながらも、アジアでの生活経験も長く、特に人生のある時期に過ごしたブータンの社会、人々、文化を心から愛している。ブータンの伝道師として、この機会に、そのアートを中心とした魅力を、めいっぱい紹介してください
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