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自己の弱さ、他者の弱さを受け止めることから



アートと社会について考え、「社会彫刻家」の輩出を目指す「市民大学」としてのRelight Committee。編集者として、ジャーナリストとして、そして一人の作家としてインビジブルにかかわっている中で感じることを書きつづってみたい。

「生と死」をテーマにした企画を発表するRelight Daysに向けて、それぞれが自問自答しながら企画案を考えるRelight Committeeの面々。そしてそれらを包括するRelight Project。このプロジェクトは、作家・宮島達男氏が『Counter Void』を消灯し、再点灯する行為自体を作家だけで閉じるのではなく、ひらいていったことがはじまりである。

『Counter Void』を「みんな」の手に作品の点灯をゆだねることでアートとのかかわりをつくった宮島氏。その行為の社会彫刻さを考えたとき、そこには、他者に「ゆだねる」ことの信頼があるからこそである。

「自分を親とすると『Counter Void』は娘であり、嫁いだ娘を見守る気持ち」と宮島氏は話していた。今回、Relight Committeeにて近況報告をしてくれた宮島氏は、まさに嫁いだ娘の成長を見守る親のような佇まいだった。作品の行方をゆだね、その後を遠くから見守る行為には、一般的に考えられている作家の作家然とした振舞いや、インビジブル菊池の言葉を借りれば“アート作品という名を借りたパブリック・マスターベーションのような自己満足型の表現”ではなく、他者とともにあろうとする姿がそこにはある。

「生と死」を考えるとき、私たちが生きているこの社会そのものと直結している。人の「生と死」は、衣食住を整え生活することで、はじめて個人の人生が成り立つ。暮らしの循環を考えたとき、身の回りのあらゆるすべてのものに他者がかかわっていることに、普段生活する私たちは無意識になっているように思える。

三人以上の人間が集まったときにそこには「社会」が存在する。3人全員がまったく同じ存在として存在することはなく、三者それぞれに違いがあり、また二者間では測れない複雑性がある。社会を考えることは他者とかかわることの意味と向き合わなければならない。

前のめりな時代からの脱却?

社会との向き合い方を考える中で、直近の出来事として海の向こう側で第45代の大統領が誕生したことによる変化が、社会全体に影響を及ぼしている。彼の出自や発言、スタンスを考慮するに、貧困や失業、経済の衰退に対する恐怖や不安から生まれたある種の強さの象徴でもある。それは同時に、不確実な社会において強さを求めんとする国民の声なき声によって生まれたものともいえる。

経済の視点から考えたとき、プロジェクトやプロフィット、プロスペクト、プロダクションといった言葉が飛び交う。そこには、接頭語において「pre-」がつく言葉があふれている。これは未来が予測可能であり、未来から現在を論理的に想像する範囲の中で合理的で前のめりな行動に落とし込むものである、と哲学者の鷲田清一氏は指摘している。

現在社会自体が前のめりを求めており、待つことや立ち止まること、時には後ろに下がることを考えることのない時代の精神性を浮き彫りにする。そこには、特定の価値観でしか物事を見られなくなっているがゆえ、もっといえば、わかりやすい指標化されたものに対する信頼や拠り所としようとしているものなのだ。

では、その「pre-」の反対はなにになるか。それは、意味としての後ろというよりも、後にあるという意味で「post-」という単語がある。世の中を見渡すと、「pre-」という単語がつくものはあっても「post-」とつく普段使いの単語は少ない。それだけ、時代のなかにおいて前を向く以外の選択肢を社会全体が許容できる時代になっていないともいえる。

言葉があるとき、そこには概念が横たわっている。時代が常に前を向いていた時代から、少し立ち止まって考えたり思考したりするためには、そのために必要な言葉を我々は考えなければならない。

不確実な時代を生きる

2016年を表すキーワードとして「post-truth」という言葉が挙げられるだろう。ネットメディアにおける情報の整合性やメディアが切り取る情報の断片性、インターネットの登場による情報爆発の時代における情報との向き合い方の新たなあり方を模索する時代を表現する言葉である。

post-truthの時代とは、膨大な情報を人間が処理したり伝えたりすることができなくなった時代において、そこには誰もが拠り所となりうる一つの指標、価値判断としての真実はなく、複数の角度から切り取られたいくつもの事実のみが横たわってる時代において、私たちたちが信じるべきものはなんなのかを、私たち自身が考えなければいけない時代に立っているともいえる。

経済成長を求め、あらゆるものが外部市場化されたもののなかで、私たちはこれまで信頼して無意識に口にしていたものが、実は欺瞞や嘘の表示、商品の裏側にある悲惨な現場を見えないように覆い隠していた。そのトレーサビリティの不透明さに意識的になり、次第に人々の行動もあらゆる企業や団体、活動に対して信頼することが難しくなっていたともいえる。

不確実な時代、信頼が崩壊した時代において、不安を解消し、安心を求めるために社会全体が速さや強さという一つの価値判断や指標といった確実さを求めようとしているのかもしれない。いままで私たちが拠り所としていた指標や価値観そのものの信頼が崩れた時代において、何が真実なのか、何が自分たちが拠り所とすべきものかが揺り動かされている時代でもある。そうしたときに、不安を煽り、新たな指標への信頼や狂信的な態度を起こさせようとすることは、結果として時代の不確実なものにおいて人が個人で考え抜くことの難しさがある時代でもある。しかし、単一の指標や価値観は、ある種の強さをはらむものの、時にその価値観から外れる人を排除してしまう。そうではなく、誰もが豊かに生きていくためにも、多様な価値観が交わる社会のあり方を考えなければならない。

多様性とは弱さを認めること

ところで、「多様性」が「ある」とは何を指すのだろう。端的に言えば、それは「弱さ」を受け入れることである。

人は、視点を変えれば誰もがマイノリティとなる要素を持っているものだ。一つの指標だけでは序列化が起きてしまう。けれども、社会の複雑さにおいては、価値観やそれぞれの趣味や趣向は違ったりする。そうした状況においては、強さは時には弱さにもなる。弱さを内包すること、弱さを許容できる状態であることが、多様性があり続ける一つである。

腕を前で組んで目をつぶって後ろに倒れ、支えてもらって起こしてもらう「トラストフォール(Trust Fall:信頼の後ろ倒れ)」というワークショップをみなさんもご存知だろう。相手を信頼することを体験するこのワークショップは、相手を信頼すると同時に、自分でコントロールできない他者に「ゆだねる」ことの大切さを学ぶものでもある。「社会彫刻」という概念を考えたとき、そこにある「社会」とは、人の持つ弱さや脆さと向き合いながら、時に他者にゆだね、他者とともに対話することによって生み出されるものなのかもしれない。

共著で執筆した『日本のシビックエコノミー』で紹介した各地の取り組みも、一つで完結するのではなく、地域において新たな循環を生み出すための仕組みづくりである。個々の地域にいる・あるものをもとに、資源の棚卸しと新たなアイデアをもとに、他者とともに「共生」する仕組みがあるのだ。つまりそれは、他者との関係に寄り添って生まれるものであり、そこには、強さの誇示ではなく「弱さ」を受け入れる許容さがある。

昨今の高齢化に関する議論において、誰もが必ず訪れる「死」や「老い」との向き合い方を考えなければいけない。それはつまり、誰もが今までできていたことができなくなることを受け止めなければいけないことでもある。「生と死」を考えるとき、我々はいかにして「弱さ」と向き合うかが問われているのだ。

成長から成熟の時代を生きるいま、成熟する社会となるためには、自己だけではなく他者の存在を認識し、そこにある他者性にゆだねるための「弱さ」を許容することなのだ。

対話から生まれる自己と他者との関係

今年度からは市民大学として運営しているRelight Committee。現在のRelight Committeeメンバーの企画のそれぞれは、一人では成立できないものや、他者との協働、日々の生活の中で感じるモヤモヤや自分自身の弱さと向き合うような内容だったりする。事務局にとっても、Reliht Committeeのメンバーそれぞれの自主性にゆだね、各々が自問自答している様子から生まれたものを許容しようとする運営の設計をしている。

メンバーそれぞれの自律と行動を促すためには、多様なメンバー同士による対話が必要不可欠だ。そこで行われる対話は、仲良くするものではなく、互いを社会彫刻家と認めたうえで、互いの価値観や思想を尊重し、互いの弱さを受け止めながら相互に作用しあう関係ともいえる。

対話とは、自分の発した言葉によって自分自身が内省することに意味がある。他者との対話を通じた交換は、他者と関係性を結ぶだけでなく、自身の内面と向き合うことによって自分自身の思考を深めることでもある。

自発的に考える場とは、時に自身の不出来や欠点と向き合わなければいけない。対話の場では、対話によって優劣をつけようとするのではなく、そこから学びをいかに互いに引き出すことができるかという姿勢が求められる。相手を批判したり、相手を貶めたりするのではなく、自身の気づきや学びを生み出すことこそが対話の本質である。

自身でこもるのではなく、他者に「ゆだね」、そこから生まれるものを受け止め、新たな自分を発見する。そのためにも、自身の「弱さ」や「脆さ」と向き合うことで、そこから新たな自分を再発見する。それはつまり、自己と他者に対する「Trust」と向き合っていかなければならないのだ。

(2017年2月15日)
特定非営利活動法人インビジブル:江口晋太朗


講座レポート(第6回 2017年1月21日開講)
報告:富樫尚代

「それぞれの個性から見えてきたもの」

空気も冷え切った1月21日の朝8時30分、まだ玄関の開かないアーツ千代田3331の裏門にRelight Committee2015のメンバーが集合。アーツカウンシル東京の会議室は、スッキリと模様替えをしていつもより広い印象。始まりは恒例のラジオ体操。実は、筆者はこのラジオ体操に特別の思い入れがある。

2016年10月の六本木アートナイトで日本フィルハーモニー交響楽団が行った「クラシックなラジオ体操」にまで話はさかのぼる。早朝5時15分の日の出に合わせて行った弦楽四重奏とトランペットの伴奏によるラジオ体操は、その時間まで六本木周辺に残った約400人ものアート好きの人たちを興奮のるつぼに誘った。

ことの始まりは、Relight Committeeの集まりのあとにインビジブルの菊池宏子さんから「相談がある」と誘われた、アーツ千代田3331近くの餃子屋でビールを飲みながらの密談にあった。六本木アートナイトのまちなかで開催されるプログラムのプロデュースを担当していた彼女の提案は「富樫さん、日フィルの演奏で早朝のラジオ体操やらない?」というものだった。

彼女の提案はオーケストラ業界ではありえない発想で、すぐさま「これはおもしろい」と直感した私は、その場でスケジュールを見て「できる」と判断した。走るアート、踊るアート、身体性のアートという六本木アートナイトのテーマに、誰もができるラジオ体操を生の演奏でやってみるのはグッドアイデアそのものだった。

本番当日、おそらくその場にいた誰もが純正クラシック、マニアックな室内楽、弦楽四重奏の調べを早朝の六本木で聴くとは想像しなかっただろう。予想を超えて、ラジオ体操は徹夜明けの身体を爽やかによみがえらせ、参加した人たちはそれぞれに家路に向かったのだった。そうした物語があるので、ラジオ体操と聞くとその情景とともに身体が頑張ろうと反応するわけだ。

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各々が1カ月かけて準備してきた企画をプレゼンテーションしていく

さて、ラジオ体操が終わった後は今日のスケジュールの確認。3月のRelight Daysに向けて、Relight Committee2016のみなさんが一人ひとり自らを「社会彫刻家」と刻印を押し、それぞれの企画の発表が行われる。お正月を挟んで、どんな感じにブラッシュアップしたのかな、と期待が膨らむ。

実はRelight Committee2016のメンバーは、お互いの交流と意見交換を兼ねた新年会を行ったそうだ。楽しそうな写真がFacebookにアップされていて「やるなぁ」と感心していた。よくよく見ると、Relight Committee2016はアートプロジェクトの経験豊富な二人のおじさん(失礼!)と、キャピキャピの元気な6人の女子で構成されていていい感じである。

生と死の間の人生のストーリー 「感動を伝える」ことで未来をつなぐ

仕事で遺贈の事業にかかわるなか、どうやってドネーションを集めるか、「死とお金」が直結する課題で悩んできたモエコ。難病の子どもたちをプロバスケットボールBリーグの試合観戦に参加する機会をつくって感動のストーリーを実感したことから、自らスポーツを通じて感動を分かち合いたいという。そんなストーリーを集めて書籍にして、感動のサイクルをつくっていきたいという希望がある。その過程にあるRelight Projectでなにか形にしたいが、まだ具体的なイメージができていない。

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それぞれの生活や職業と絡みながらまったく異なる企画内容が提案される。

Relight Committeeでは、企画そのものよりもそこに至る悩みや葛藤の熱量にむしろ意味がある。イベントでなく一緒にやれる企画も候補にしたらどうかな。「社会彫刻」と呼べる活動を独自の基準や選考員によって評価し、「賞」を授けることで光を当てるフジイさんのアイデアにも共通部分があるのでコラボしたらどうか、という意見もあった。

彼女のようなイベントをつくる仕事と似たような経験をしてきた私には、「感動」の押しつけという葛藤がよくわかる。このRelight Committeeを通じて何を着地とするか、通過とするか。考えることの習慣化はとても意義のあることだと思った。

「めんどくさい」を記録する「アクション・ステートメント」を出す

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すでにプロジェクトをスタートさせているメンバーも

キャピキャピ女子のなかではアンニュイな雰囲気を漂わすセキさん。「生きるのがめんどくさい」を連発してきた彼女が、企画のアイデアが尽きて新年早々にインビジブルへ相談に駆け込んだとき、菊池さんから「めんどくさい日記を書いてみたらどうか」とアドバイスされたことから、企画に至った。

発表では「めんどくさい気持ちがどう変化するのか」「くだらないけどがんばってみるか」と書きつづった日記を持参。ある日のめんどくさい項目を読んでもらったら、これがなかなかおもしろい。日常の中での楽しいことやうれしいことは、視点を変えればすごくつまらないものに見えたりする。その逆もしかり。意義とか誰かに見せるとか考えないで、とりあえず「めんどくさい」を書き留めていく。ただし企画の「アクション・ステイトメント(声明文)」を出すこと、これが一つの行為となる。

欲望の生と死、「深堀シート」の提案

セキさんとは対照的に、ポジティブシンキングの代表格のようなマツバさん。いつも元気で前向き、声に張りがある。子どものころからの自分の欲望の変遷を、エクセルで表にして分析する方法で自己点検をしてきた彼女の「深堀シート」をもとにした企画が発表された。

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エンジニアやライターとマルチな仕事をしているメンバーらしいエクセルを使った企画

「深掘シート」をもとに書いていくことで、その人自身の隠れた欲望に気づき、未来の可能性を考えることが目的だという。彼女には挑戦、あきらめない、努力、という言葉がよく似合う。欲望の表現方法は「深堀シート」に書くか、別の用紙に書いてもらいInstagramなどにあげて共有するという。発表後の質疑では、欲望の裏にあるもの、欲望の正体を見つめる、好奇心の源流を深堀するのもおもしろいかも、といった意見も飛び交った。

彼女の発表を聞いていて、小学校、中学校、高校、大学、大学院、社会人と、常に前向きに自分と向き合ってきた彼女に「挫折」という瞬間はなかったのかなぁ、とおばさんは思う。その「挫折」をどうやって乗り越えたのかにおばさんは興味があるんだけどね。

Passenger

点滅するタクシーの車体の上にある行灯の「スイッチ、オン」から、都市にある「生と死」 をイメージしたアーティストのヤマダさん。三日間だけ点灯する『Counter Void』を拠点にタクシーの運転手さんと対話する企画を提案してくれた。ビデオにする、写真にする、録音するなどの記録方法や、アイドリング、六本木ヒルズを回る、東京タワーを通過、走行の道順のアイデアなどもRelight Committeeメンバーから矢継ぎ早にでてくる。自分ごととして3.11をどう感じたのか、運転手さんや他の人との対話、場所、形、ストーリーを仕立て、アウトプットの方法などデザインすることが今後の課題。

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これからのフィールドリサーチ案の提案

現在は、東京を拠点に都市・自然・人間のかかわりに注目した作品を制作しているアーティストである彼女は、3.11を日本で体験していないという。そのときその場の空気を自分ごととして作品化したいと考える、彼女らしいよく考えられたアイデアだと思う。

memento mori サードプレイスで愛を歌う

Relight Committee2016のなかで、存在そのものがアートと表現されるヤスヨさん。おだやかで美しい声が人柄を表している。これまでのスケッチブックによる自筆のプレゼンから、新たに購入したMacBookを持参しプレゼンした。

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パフォーマンス企画のプレゼンテーション

生を受けたことの神秘、人は一人で生まれて一人で死んでいく中で、これまでの出会いに新たな光をあててみたい。祖父の写真から戦争の記憶を呼び起こされ、生きていくうえで抗えない時代や時勢を経て、今自分が生きている現実の背景にあるものを考える。出会った人たちと想いを共有する場所としてのサードプレイスをつくりたい――ヒントは須賀敦子の『コルシア書店の仲間たち』が集う場所だ。具体的には3.11から3.13の間に神田の知り合いの喫茶店で愛をテーマにした歌を歌いながら対話をするというものだ。

祖父の思い出を語るときに涙ぐむ彼女は、本当に純な人である。セピア色の企画、すでに具体的な「コンサート」イメージがあり、どう成立させるか、仲良しグループを超えて何を残すかが今後の課題。歌いたい、という率直な想いをもとに。

祖母との往復書簡

90代の自分の祖母といろんな世代との往復書簡を映像で記録する、というユウシさんの企画。リアルタイムの回答は難しいので、ユウシさんが窓口になる。Relight Committeeメンバーへ質問協力を要請する。

メンバーからは、ユウシさんの立ち位置や介入の仕方、ただのQ&Aでなく問いを翻訳することや、どういうおばあちゃん像かなどのつくりこみの部分を質問者に伝える必要がある。メインテーマは質問か、答えか、会話か、でアプローチの仕方が変わるのでは、などのさまざまな意見も。

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自分の祖母との対話を企画にしようと考えるメンバー

2往復するのかな。その仕組みは大変だよね。アーティストとして、どういうコミュニケーションをつくりたいのか、フォーマット化することでそこが見えなくなっているような。まずはこの人格を残したい、というシンプルな熱量をもう一度思い起こしてみよう。

すでにいろんなアートイベントを企画している彼は、もう頭のなかで映像も含めて「作品」のイメージができあがっているのではないかと思う。ここでカギを握るのはRelight Committeeメンバーらの「おばあちゃんへの問い」だ。若いメンバーが往復書簡に参加することで、時代をさかのぼりながらいくつもの想像や共感が生まれてくる。どんな「作品」になるのかワクワクする。

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Relight Projecetの創設メンバーである、アーティスト宮島達男を招いて

最後に、Relight Committee2016によるRelight Daysにおける全プロジェクトをどうやってつなげていくか、ステイトメントやテキスト、ウェブサイトなどでの発表や、フライヤーをつくって駅やカフェにおいてもらうなどのアウトプットの形が大事になってくる。そこから「みんな」がみえる工夫をどうしていくのかが課題だ。

また、Relight Days中に『Counter Void』の前に机や椅子を起きたブースをつくることになった。ここをどう活用していくかも考えなければならない。

アーティスト宮島さんの近況

午後は、還暦を迎えた宮島達男さんの近況を聞く会とサプライズのお祝い。大学の「先生」をやめて、アーティスト一筋に「独立」された宮島さんのこの1年間の活動の報告をしていただいた。

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現在開催中のオーストラリアの展示の話は非常に興味深かった。

アート・バーゼル香港のICCビル、霧島アートの森の宮島達男展「生と死-命のひかり―」、シドニーのMCAにおける個展、上海のFosun Art Centerでの「Counter Sky Garden」など、ご自身のコンセプトのみならずプロジェクトをつくる人々の内側のお話がおもしろかった。

特に、シドニーでは3カ月にわたる美術館の若いキュレーター、デザイナー、インストーラーなどスペシャリストたちとの個展をつくり上げるまでの経過が、日本的な常識をはるかに超えていておもしろかった。彼らの自由闊達なアイデアを受け止め、話し合いながら生かしていく宮島さんの裁量と度量がとてもイカしていて、組織運営をするうえでのこのスーパーガバナンスを、日本の会社経営者や管理職の人たちに聞かせたいもんだと思った。

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上海でおこった現場のあれこれを聞き、笑いの絶えないトークに

上海の作品づくりはもっとおもしろい。まさしく「市民参加」の手法を取り込んで、作品公開の日に何千人以上もの上海市民がビルの屋上で狂喜乱舞した様は目に浮かぶような話だった。それと一体となった宮島さんの興奮ぶりが手に取るようにわかる。「社会彫刻家」の誕生は、すばらしい幸福な風景をつくり出す。

どの話も、「アーティスト」として「独立」した宮島さんの、時間の余裕がもたらしたいきいきとした現場報告だった。

最後はRelight Committeeメンバーからの質問コーナー。宮島さんの作品が時間の経過とともに「変化」(点滅の強弱など)することへの質問に対して、「生と死」をコンセプトとする宮島さんが「それも作品だ」とする考え方にあらためてなるほどなと納得した。

Relight Committeeからの還暦のお祝いは、赤い花束と赤いパンツのプレゼント。60歳を過ぎていよいよ華も実もある充実の人生を迎える宮島さん、いつまでもわれらの導きの星であれ。

レポート執筆:富樫尚代(Relight Committee2015)
写真:丸尾隆一

実践編「Relight Committee」 目次

1
アートと社会の関係を考える場
2
学びの仕組みと当事者の視点
3
実験的な学びの場が持つ課題
4
アーティストとして
5
アート的に考えることから
6
現在RCに参加している者として、どのように感じ、どのような学びがあるのか
7
自己の弱さ、他者の弱さを受け止めることから
8
「私」からはじまる強さ
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