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ビジョン2030

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さて、困った。

 東京オリンピック2020・文化プログラムについて提言をしろというお題をいただき、軽い気持ちで受けたはいいが、「さてどうしたものか」と、いっこうに筆が進まず締め切りを過ぎてしまった。担当者の皆さま、決してサボっていたわけではありません。困っていました。とにかくすみません。

 大分県別府市という地方都市でBEPPU PROJECTというアートNPOを2005年に立ち上げた自分に執筆依頼がくるということは、地方からの提言を期待されているのだろうか。だけど、別府市民も含めて、国民のほとんどがオリンピックとアートがなぜつながっているのかよくわからないまま、そしてなぜ東京で行われるイベントの恩恵が、それもおそらく少なくない額の資金がある日突然地方に降りてくることになるのか、「あぁそうか、また国はバラマキを行うのだな、まったく同じことを何度繰り返せば懲りるのか……」そういう誤解? を解くために、とにかく“文化プログラム万歳!”“文化プログラムを行えば地方もハッピーになるよ!!”とアジテーションをするような原稿を書かなきゃなぁ、などと穿った見方をすればそのように感じられなくもない。この立ち位置に困っているのである。

 困ったついでにもう1ついってしまえば、“オリンピックが決まりました”なので“全国津々浦々で文化プログラムをします”、それには“現場で活躍するアートマネジメントを行う人材が足りない!” というステップにも違和感があって、「人材以前に何かが足りないんだよな」と、ずっと考え込んでしまった。

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別府現代芸術フェスティバル2009「混浴温泉世界」
「無題」/2009年
Michael Lin(台湾)

なぜアートでなければならないの?

 どこに行ってもあたり前のように、大小さまざまに芸術祭が開かれ、アートプロジェクトが地域を元気にするというかけ声が聞かれるようになった現在、はたして、特に地方都市におけるアートや芸術祭の役割とは何かを 〜自己矛盾も露呈しながら〜 あらためて考えてみたい。

 地域の活性化・観光振興・コミュニティの再構築…それらの課題の解決策としてアートプロジェクトが重宝されることが多いが、そもそもこのような、特に地方が抱える諸問題は、アートが介在せずとも各地域において緊密な課題ではある。それでもなぜアートでなければならないのだろう?

 こういうことを考える際に、自分のようなプロデューサーや企画者に話はきても、もう1人の当事者であるアーティストの声を直接目にする機会が少ないと感じている。また、かつてはアーティストの声を代弁するのは、評論家と言われる方々が相場であったが、それも最近では少なくなっているように感じる。

 乱暴にいえば、アーティストはそれぞれが絶対に表現をしたい、完成した作品を絶対に見たいという強い欲求があり、そのことに自分の人生をかけられる人だ。少なくとも自分はそうだった。だとするならば、アーティストにとって“表現する”ということは生きることそのものであると思うし、それは決して、他者の課題解決のためではないはずだ。地方が元気になるためにアートを志すという若手作家がいてもいいと思うが、それを目的とするアーティストには、大変申し訳ないけど、実は興味を持てない。われわれのような企画側から地域の課題とか企画を進めるにあたって求められる、ともすればつまらないお題が出されても、それはキャンバスの大きさと同じような物理的な制限でしかない。アーティストの内面にある絶対見たい世界をそれぞれの技術によって顕在化させ、お題や制限を大きく超えていく様を見せてほしい。

 困ったことに、アートというものはとても抽象的で、方程式から導き出されるような、すっきりとした答えは用意されてなくて、見る者、体験する者の心に委ねられる。ドキッとしたり、ワクワクしたり、なんとも言えない感情が湧いてきたり。

 そのとき、想像力には制限がないことをあらためて思い出す。アートが地域にもたらすものって、そういうことなんじゃないか。評論家は答えを求めるわれわれを導いたり、宇宙人みたいな(と思われる)アーティストの言わんとすることを翻訳する人ではなく、作品から受けた自分なりの心の動きを言葉にしてわれわれの想像力をさらに広げてくれる、もう1人のアーティスト。アーティストが生み出すものは、陳腐な言い方だけど、われわれが日常のなかで日々見えなくなっていく自分自身の内面や、未知に対するおもしろさに気がつくための鏡のようなもの。そして、この目の前の世界の不思議さにワクワクしはじめたわれわれ市民が、この地域をもっとおもしろい場所に変えようとしたときに、つまりいいたいのは、目的ではなく結果的に地域が変わるかもしれないと、そんなふうに考えた。

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別府現代芸術フェスティバル2015「混浴温泉世界」
「永久別府劇場・恐怖の館」/2015年

元ストリップ劇場の「永久別府劇場」を会場に、現代美術家や照明デザイナー、システムデザイナー、パフォーマーらがつくるお化け屋敷

違うということ

 かつて、勇ましい冒険者たちは、自分がいる世界の中心から遠く離れた辺境の地を訪ね、世界は知らないことばかりだとわれわれに伝えてきた。ムズムズするキーワードはとりあえず棚上げにするが、それがいまや、グローバリズムや通信革命によって、世界津々浦々の情報も一瞬で手に入れることができる、結果そのことで世界は均質化してしまった、困ったもんだと、そんなふうに語られる。でも、本当にそうなのかなとたまに思う。

 知らないことは、僕らは理解できない。もっと世界を知ることで、理解しようとするその先にあるものはなんなのか。その違いが自分の物差しと異なっていたら、理解できないこととして片付けていたんじゃないかと自問した。つまりそれは、自分と同じ価値のなかに位置づける、取り込んでいくような視点で世界を見ていたのかもしれない。その枠のなかでどうしても消化できないものは、理解できないと片付けていたのかもしれない。自分が納得することこそが理解するということだったのではないか。違うことをそのままに受け入れおもしろがることのできる心が欲しい。

 今に始まったことではないけれど、新しく何かを行うときによくいわれるのは、過去の事例を出してくれ、そうじゃないと議会や上司を説得できないということ。こういうプロデューサー業を何年もしていると、そういうのもお手の物で、いろんな事例を出してはみるが、いわなきゃいいのに、毎回やっぱり一言付け加えてしまう。「アーティストに依頼して、新たにアートプロジェクトを行うのなら、それは毎回新しいことであって、過去の事例を学ぶことは大切だけど、同じことが起こるわけではありません。あくまで初めての経験になるので、何が起こるかやってみないとわかりません。だからこそ、そのプロジェクトは価値があるのではないですか? だって、他の場所で成功しているものが既にあるのなら、わざわざここに観にこなくてよくないですか? 金太郎飴みたいになるなってよくいうじゃないですか、だからこんな資料必要ないですよ、むしろダメ……」あぁ、やっぱりアートの人は“面倒くさい”“偏屈だ”“空気が読めないな”なんて思われているのだろうな、という感じもするが、最近は随分鈍感力がついてきた気がしている。

 それはともかく、たとえば休みが取れて、どこかに観光に行こうとするとき、いつもいる町と同じ場所に行きたくなるのだろうか。同じことの繰り返しで退屈な日常から離れ刺激を求めて。日々のめまぐるしい仕事から離れのんびりと贅沢に時間を費やしたいから。そんな、今、こことは違う何かを求めて旅をするのなら、あらゆる場所が違えば違うほど自分はうれしいと思う。それぞれの自治体でつくられる観光パンフレットを並べてみて、そこに羅列される特産品がほとんど同じだと、どこがどこかよくわからなくなってしまい、興味が逆になくなりませんか? もしそれが、海外のよく知らない、馴染みのない国だった場合、どこに行けばよいかわからなくなるんじゃないかな。

 もちろん、社会的なインフラや福祉サービスなど自治体や国単位で差がありすぎては困るけれど、もし、それぞれの地方都市が成功しているといわれる都市をモデルに同様の個性を求めてしまえば、つまらない。

 地域におけるアートプロジェクトも同様に、どこに行っても同じような仕組み、コンセプト、参加アーティストだと、つまらない。

 なぜ行うのか、その先にあるものはなんなのか。

 つまり、ビジョンが必要なんだ。具体的な内容はそれによって導かれる。アートありきなんかじゃないはずだ。

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国東半島芸術祭 サイトスペシフィックプロジェクト「千燈プロジェクト」
ANOTHER TIME XX
2013年
Antony Gormley
撮影:久保貴史(C)国東半島芸術祭実行委員会
Photo: Takashi Kubo(C)KUNISAKI ART FESTIVAL Committee

ビジョン

 東京オリンピック2020に合わせて文化プログラムを全国で行うという発想は、ロンドンオリンピック2012をモデルにしていると理解している。BEPPU PROJECTも大分県知事や経済界の方々とともに、英国に視察し関係者に話を伺ってきた。全国を統括する組織と各エリアごとのクリエイティブ・プログラマーの役割などを学び、信じられないほど多くのプロジェクトを実現したことに驚いた。そして、それぞれ特徴的なプロジェクトは1つのテーマのもとにまとまっていく。

 “Once in a lifetime”(一生に一度きりの経験を)

 自国で開催されるオリンピック。競技人にとってその場に立てることは、一生に一度の夢のような経験である。それになぞらえ、この文化の祭典も行われたのだ。

 そして、当初から、このアクションが2012以降にどのようなレガシーを残せるか、つなげていくのかを徹底的に考えたという。文化プログラムは目的ではない。英国ではレガシーとして位置付けた目指すべき未来、それこそがビジョンだ。

 ビジョンに向かって、その場所ならではの取り組みを企画・実践するためには、責任の所在が明らかであることが不可欠だ。つまり、誰が行っているのか、顔が見えるものでなければならない。そこにはパッションが必要だ。

 もちろんパッションだけでは何も起こせないし、明確なビジョンであっても、一朝一夕には実現しないだろう。だからこそ、各段階ごとのアウトカムを意識した的確なロジスティックス構築能力、客観的に成果を分析する評価モデルの導入、そして、持続していくための経営力が必要だ。

 “2020には国から全国に大金が分配されるらしい”“ぜひうちも参入しよう”“手を上げよう”“そのためにとりあえず芸術祭でもやっておこうか”、なんて考えてしまうくだらない過去に、もううんざりしている。2020のために、とにかく“人手が足りない”“とりあえずそのために早く育てなければ!” なんていわれたら、本気で悲しくなってしまう。彼らは2020以降使い捨てにされる便利な道具じゃない。あなたの先にある未来だ。

 違和感の正体がなんなのか、やっと見えてきた。

 それは、2020に向けてビジョンを設定しようとすること。

 僕らに本当に必要なのは、それを超えた先を見つめ、創造しようとする意思だ。

 ビジョン2030を考えよう。

 だからこそ僕は、ここ別府や大分県という、なんというか垢抜けないけど、ラブリーなこの地域がこの先どうなっていくべきなのか、子どもたちに何を残せるのか、これまでと同じようにこれからもずっと、個人的に真剣に考えたいと思うのである。

(2015年12月10日)

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おすすめの1冊

  • P.F.ドラッカー「非営利組織の経営」

参考リンク

オリンピック・パラリンピック(3) 目次

1
ビジョン2030
2
Q&Aその1
アーティストの声をきく方法
3
Q&Aその2
違うことをおもしろがれる人
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