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Q&Aその1

嫌っている人に好きになってもらうには


たくさんのご質問をいただき、皆さまありがとうございました。今回はそのなかから5つの質問に対して、1つにまとめた加藤種男さんからの回答を掲載します。

Q1:詳細なレポートによって、向山朋子さんほか、素晴らしいアーティストや、活動が現在の日本に存在していることがわかりました。一方で、これからの芸術を担う人材不足もご指摘されており、特にアートプロジェクトの運営側や、評価機関に対しての危惧を感じました。芸術文化を200年後に通じる意味のある投資対象であると国民や企業に感じていただくための「実験・製造」には、具体的にはどのような方向からのアプローチが可能でしょうか?(学生)

Q2:「公的な投資であるからこそ、領収書は1枚あればいい。」
何かの助成を受ける度に、会計処理に多くの時間を取られてきた身としては、目からウロコのお言葉でした。実際に地方の公共などでも、こういう考え方を取り入れる方向へ進んでいるところはあるのでしょうか?(アートを行う個人・団体)

Q3:現在、故郷を元気にしたいという思いで活動をしています。企画意図を助成をする側(主に行政)が理解してくれない場合が多々あり、一過性の打ち上げ花火(タレントを呼ぶなど)のような企画に多額の助成をしています。アートマネジメントをする人の育成と同時に、それを評価する人たちの育成の機会というものはあるのでしょうか?(その他)

Q4:アートプロジェクトによって表現活動を行う個人が、アートワールドから「アーティストではない」と断じられ、地域からは「アートはよくわからない」と距離を置かれる未来に対して何ができるでしょうか?(アートを行う個人・団体)

Q5:現代において絵画や彫刻、インスタレーションはエンターテイメントと切り離され主に独自のフィールドやアカデミズムのなかで評価されていると思いますが、社会を巻き込んでいくアートにおいて絵画、彫刻、インスタレーションが獲得するであろうエンターテイメントとしての側面を他の娯楽と比較したときの優位点はなんだと思われますか?
アートフェアにおいて沢山の作品があるなか、作品の持つ意義や作者の意図を鑑賞者が理解する前提でアートフェアは企画されているものなのでしょうか?(無職)

質問には共通点があり、行政や地域から「アートはよく解らない」と敬遠されたり、一過性のイベントだけが求められたりする、この状況を打破するにはどうしたらいいか、ということだと思います。

そもそも、アーティストやアートプロジェクトの企画運営者、あるいは批評家を含めたアートの専門家側に、どうせ行政、企業、さらには市民には、自分たちのしている仕事は解らないだろうという"あきらめ"、あるいはこのほうがより真実に近いような気がしますが、"うぬぼれ"があったのではないでしょうか。駆け出しのころしていたはずの説明を、挫折感と優越感の混合のなかで、「どうせ解らないものを説明してもはじまらない」として説明するのを止めてしまった。その結果、行政や企業や幅広い市民と、アートの専門家たちとの間に、不信感だけがひたすらに増大していったのです。

それではどうすればいいのか。その答えの前に、なぜ、世間の人々は、質問者たちの関わっているアート活動に対して「解らない」というのでしょう。実は、よく解っているのです。たまに首をかしげるようなことがあっても、少なくともアート側が考えているよりもはるかによく理解しています。それを「解らない」というのは、アート側を傷つけたくないからです。多くの場合は、残念ながら皆様の作品や活動を嫌っているのです。あなたの仕事は嫌いだが、あなたの仕事以外に、実は好きな作品や活動があるのです。あなたの作品、仕事は嫌いだとはあからさまに言いたくないので、「難しくてねえ、我々には解らないねえ」というのです。

そこで専門家側はあらためて作者の意図などというものを説明しようとする。嫌っているのに内容の説明などされても、だれも聞きたくない。そうすると、アート側は彼らを「無知蒙昧の輩」と非難し、彼らはアート側を「好きなことをやっていながら公的な支援を求める不可解な動物」だと軽蔑するのです。

最大の失策者はだれだったのか。それは、批評家とかキュレーター、ディレクターなどと呼ばれる人々で、その分野の歴史的文脈においてできるだけ難解な専門用語を駆使して示し、出来るだけ素人を近寄らせないようにしてきたのです。そうすることで、自分たちの世界と自分たちの地位を保全し、上から目線で資金援助を強要してきたのでした。

それが破綻しつつあるのは、質問者たちの切実な声によっても明らかでしょう。

では何をすべきなのか。それは、アートの文脈ではなく、社会との関係において自分たちの仕事がどういう価値を持っているか、今の人々が生きていくうえで、どういう意味を持っているかを説明することです。目や耳になれない活動だとしても、社会にとって必要で役立つことを繰り返し説明することです。専門用語をちりばめて、権威付けなどせずに、平易な言葉で説明することです。これは、アートの内容を解りやすくしたり、社会に迎合したりすることとは、まったく違います。アートは今のままで嫌われるくらい、その内容が理解されています。嫌っている人々に好きになってもらうための説明には、相当の創意工夫が要るはずです。そうした創意工夫を通して、アート側がさらに強く社会との関係を見つめることにもなるのではないでしょうか。そのことの意味も大きいと思います。

次回に、先駆的な活動をしている企業や自治体を紹介します。

(2015年6月15日)

オリンピック・パラリンピック(1) 目次

1
文化投資のビジョンと戦略
2
Q&Aその1
嫌っている人に好きになってもらうには
3
Q&Aその2
遺産の創造拠点化がレガシーとなる
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