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今後の文化政策

— 課題と展望

 本連載の最初に、「文化政策が芸術文化の振興をめざすものという見方は、第二次大戦後になってはじめて、日本や欧米自由主義国において成立してきたもので、しかもそれらの国々においても1970年代あたりから批判を受けている、きわめて一面的な捉え方なのです」と述べました。
 前半の、20世紀の半ば頃までは(また多くの非欧米諸国では今日も)「文化政策が芸術文化の振興をめざすもの」ではなく、近代国民国家成立時における「国民」の創出に深く関わっていたということについては、これまでに何回か触れてきました。しかし後半の、1970年代あたりから批判を受けているということについてはこれまで述べてきませんでしたので、最終回はこの問題──現在ヨーロッパで施行しつつある「文化政策の転換」を取りあげ、こうした動きの日本への波及にも触れつつ、今日求められる文化政策について展望してみたいと思います。

芸術文化振興政策への批判

 前にも述べましたように、第二次大戦後、表現の自由に基づく芸術文化振興や文化財保護などを軸とする今日的な文化政策が始まった背景には、戦前までの文化政策の基盤にあったナショナリズムの超克と、市場経済の中で文化の大都市集中や、伝統的な文化や先端的な芸術が淘汰されていくことへの対策がありました。例えば(前回字数の都合もあり触れませんでしたが)イギリスでは、終戦の翌年1946年にアーツカウンシル(芸術評議会)を創設し芸術活動への支援を本格的に始めますが、初代総裁になった経済学者のケインズは就任演説で、支援は芸術を「社会化」し統制していくためではなく、芸術家に「勇気と確信と機会を与える」ために行われると述べています。そのためアーツカウンシルは、「アームズレングス原則」──直訳すると「腕の長さ」ですが、イギリスでは「当事者がそれぞれ独立を保った関係」といった意味で用いられています──という考え方にたって、基本的な意志決定は専門家による委員会に任せ、政府は「金は出すが、口は出さない」ような仕組みにしました。
 こう述べますと、イギリスは何とすばらしい、これぞ理想の文化政策だという芸術関係者の声が聞こえてきそうですが、実はこうしたアーツカウンシルの支援に対し、1970年前後から次々と批判の声があがってきたのです。最初の批判は、アーツカウンシルの芸術支援はエリート主義的だというものでした。支援対象になっている芸術は、音楽にせよ、美術にせよ、舞台芸術にせよ、ルネッサンス以降西欧において王侯貴族や富裕な市民層によって支えられてきた文化で、特に1960年代以降ロンドンなど大都市に増えてきた旧植民地である西インド諸島やアジア・アフリカからの移民や、戦後のマスカルチャーで育った若者たちには、特権的で古臭いものでしかありませんでした。こうした不満はやがて「文化の民主化」を求める声となっていきます。
 さらに追い討ちをかけたのは、70年代に入って経済成長の停滞にともない政府財政の急激な悪化が進み、1979年サッチャーが政権につき、経済再活性化に向け市場競争原理を取り入れて、福祉や文化の領域においても予算の削減を進めたことです。この結果、芸術文化団体は、公的な支援を確保するために何らかの「公共性」を明確にする努力や、観客や支援者の獲得を目指してマーケティング活動に努めることが求められるようになりました。
 これは何もイギリスだけの話ではなく、フランスでもドイツでも、国によりそれへの対策には違いが見られますが、同様の動きは見られました。また同時期に進んだヨーロッパの統合(EUの成立)は、これまでの(国民文化の形成という点で)文化政策の原点であった「国民国家」の役割を相対的に小さくしていき(もちろんそれは西欧に見られる動きで、前回見たように非西欧圏では「国民国家」理念は現在も文化政策上の主役です)、文化政策の主体にも変化が見られるようになってきています。

「文化」と「政策」の変化

 こうした現在ヨーロッパで進行している「文化政策の転換」を整理しますと、大きく「文化」と「政策」の変化に分けてみることができます。
 まず文化政策の対象としての「文化」の変化ですが、第二次大戦後に芸術文化と文化財に絞られたのが、再びマスカルチャーやポピュラーカルチャー、非西欧圏の民族文化を含む多様な文化、さらには後述するような従来の文化政策においては配慮されることが少なかった障がいをもった人たちの文化的環境まで、広がりを示すようになったということです。そこには、文化政策は「優れた芸術活動へのパトロネージ」にとどまるのでなく、広く社会的環境の形成の一環としてあらねばならないといった考え方が見られます。
 次に「政策」の変化ですが、これは他の政策においても共通して見られるものですが、大きく二つの形で進行していると思われます。その第一は政策主体の多元化、ちがった言い方をすれば分権化、民間化、あるいは国際化という動きです。すなわち文化政策でいえば、その国なり地域における「あるべき文化」の方向づけを決める政策の決定者が、これまでのように国の政府だけでなく、地方自治体や、企業や市民団体などの民間組織、あるいはヨーロッパではEU、さらにはユネスコといった超国家機関まで多様化しているということです(その他にも、私たち日本人にはあまりピンとはきませんが、キリスト教やイスラム教などの世界宗教も国を越えた文化政策主体といえます)。
 第二は、政策の基本的な手法といいますか、働きかける対象の変化で、供給者(サプライサイド)を向いた政策から、享受者(デマンドサイド)を向いた政策への流れです。そこに見られる考え方は、政策は一方的に押し付けられるべきものではなく、その成果を享受する一般市民(消費者)の自由な選択を尊重すべきということもありますが、さらにそうした享受者の選択に向けて競争させることで、より合理的かつ効率的な供給をはかろうという市場原理優先という意図が見られます。

これからの文化政策をみるためのキーワード

 では具体的にどういうことが起こっているのでしょうか。これからの文化政策の動向を占う意味で、キーワードともいえる3つの言葉をとりあげ、「新しい文化政策」を展望してみたく思います。
 第一にとりあげるキーワードは「アート・フォー・オール(万人のための芸術)」というものです。この言葉は、1970年代にドイツのフランクフルト市の文化部長であったヒルマー・ホフマンという人が提唱したものといわれています。先にイギリスの例で見たように、ドイツでも60〜70年代は若者たちの反乱や外国からの移住者が急増した時代で、ドイツ最大の金融都市であるフランクフルトにおいても、これまでの西欧型伝統芸術中心の文化政策への批判は高まっていました(もっともフランクフルト市の場合は、当時はドイツの中で「文化はつる地」と言われていたそうですので、従来型の文化政策も十分だったとはいえなかったのですが)。こうした中、文化部長に就任したホフマン氏は、まず文化政策の対象する文化を芸術文化だけでなく、日常生活圏に存在する文化までを含めた文化に拡大し、博物館や劇場・ホールといった文化施設だけに依らない振興施策を試みようとしました。そしてこれが、当時若者たちが地域で空家などを拠点に始めていた、既存文化に対抗する「社会文化」運動と結びつき、マイノリティの文化支援など、今日の日本でも「エイブルアート」(最初は障がいを持った人々の表現活動や鑑賞活動を支える運動として始まったものですが、今日ではこうした障がい者との触れあいの中で芸術自体が新しい社会的可能性を獲得する運動と考えられるようになってきています)と呼ばれているような施策までも含めた、多様な文化を保障する「新しい文化政策」として、他の都市や国々に影響を与えました。
 第二は、日本でも行政改革の柱として定着してきた「プライバタイゼーション(民間化)」です。これは先に述べた政策主体の多元化の具体的な展開の一つで、それまで政府機関(ないしはその外郭団体)が運営してきた国公立の文化施設が民営化されたりするケースが増えてきています(指定管理者制度など)が、ここで注意しなくてはいけない点は、文化「政策」の転換という以上、単なる民間化は単に「実現化」レベルに留まってはならないということです。また民間化の「民間」とは誰か、ということも問われねばなりません。すなわち民間化は、政府(役所)が文化のあり方を決めるのでなく、文化に関わるさまざまな人々──芸術家やその他の多様な文化の創造・生産に関わる「つくる人」、文化施設や文化産業など(最近では「アートNPO」と呼ばれる、芸術と社会をつなぐ市民団体も)で文化を多くの人々の手に届ける「支える人」、そしてそうした文化を享受するとともに、その成果を共有し継承していく多くの市民たちからなる「みる人」(直接鑑賞する人だけでなく、間接的にその成果を享受する人人も含みます)が、さまざまな形で意志決定プロセスに参加できる仕組みを試みることと言っていいでしょう。(本連載第2回で、日本の江戸時代や大正期の民間中心の文化振興が今後の参考になると述べたのは、このような意味からです。)
 第三のキーワードは「クリエイティブ(創造的)」という言葉です。この言葉自体は決して目新しいものではなく、むしろ使い古されたという感さえありますが、近年都市再生の新しい考え方として「創造(的)都市」とか、またそれと関連して「創造的産業」といった言葉が、これからの文化政策のキーワードとなってきたのはどうしてなのでしょうか。これは筆者の個人的な見解なので間違っているかもしれませんが、従来「創造的」という言葉は「オリジナル」とか「目新しいものを追いかけていく」といった意味合いで使われて来ましたが、近年の使い方は「人間の持っている能力」とか「地域の固有性」といった、まさに「文化」の本来的な意味に近い文脈で使用されているように思われます。つまり「文化」という形で人々が蓄積してきた「知」をどのようにこれからの都市政策や産業政策に活用していくか、こうした文化の社会的運用がテーマになってきているのだと思います。(同じように、「ソフトパワー」といって、文化を「外交」に活用していこうという動き──もっともフランスなどは昔からそうしてきたものですが──も見られます。)

 以上、5回にわたって文化政策について述べてきましたが、話がどんどん広がり、ますます「文化政策とは難しい、よくわからない」といった気持ちをもたれた方も多いと思います。ただ文化政策とは文化予算が多い少ないといった問題ではなく(日本の文化予算をもっと増やして「芸術文化立国」をめざそうと期待していた方には、ゴメンナサイ)、他の政策領域や今日の社会問題とも関わるものだということはお分かりになっていただけたのではないかと思います。
 「文化」をただ個人の趣味としてみるのではなく、もっと広い観点から捉え、きわめて今日的な課題として考える方が一人でも増えましたら幸いです。

(2008年8月1日)

おすすめの1冊

『文化とは』 レイモンド・ウィリアムズ
晶文社
1985年
『創造的都市─都市再生のための道具箱─』 チャールズ・ランドリー
日本評論社
2003年
『指定管理者制度─文化的公共性を支えるのは誰か─』 小林真理編著
時事通信社
2006年

文化政策入門 目次

1
文化政策とは
2
日本の文化政策の状況 【1】
3
日本の文化政策の状況 【2】
4
世界の文化政策
5
今後の文化政策
— 課題と展望
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