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Q&Aその2

アートプロジェクトの現場における「アート」の定義とは?


前々回告知した受付フォームにさまざまな質問をいただきました。皆さまありがとうございました。その中から2つの質問に対して、それぞれ熊倉純子さんからの回答を掲載します。

Q2:「アート」というワードにはいわゆる「文化」の意味合いが含まれることもあり、定義づけは難しいと思います。特に、所属や立場の異なる方が多く関わるアートプロジェクトでは「アート」が指すものを共有することは大切だと思いますが、実際の現場では、「アート」の定義づけはどのようになされているのでしょうか。共有のために工夫されていることがあれば教えてください。(芸術文化団体所属)

 こちらのご質問は、とても深い問いかけですね。たしかに、漢字の「芸術」より、カタカナの「アート」は少しゆるやかで幅広く、文化的な事象をも含む柔軟な言葉として、今日の日本では受け取られているのかもしれません。その分、何が「アート」なのかは、送り手と受け手、双方に判断が委ねられることになります。

 たとえば、本編でご紹介した大巻伸嗣さんのMemorial Rebirthというシャボン玉で空間を埋め尽くす作品ですが、偶然、まちなかでこの作品に出会った人は、ただの大量のシャボン玉のイベントだと思う可能性のほうが高いです。しかし、雨の中で、子供たちのカラフルな雨具や傘につくシャボン玉が、予想外の彩りゆたかな景色を生み出したり、また、夜に映像投影を伴うと、より幻想的で会場から「きれい」というため息が多く聞こえたり、逆に昼間、オリジナルの盆踊りとともに行うと、「祭り」の色合いが濃くなったりと、毎回、異なった風景を生み出します。最初の3年間は、アーティストと主催者で場所や演出を決めてしまっていたのですが、4年目となった昨年は、この作品に連続して関わってくださっているまちの方々が、準備段階の議論のなかで、祭りの賑わいか、静謐で幻想的な空間か、どちらの「ハレ」を求めるか、それぞれの感性や想いをぶつけあって話し合いを重ねました。また、会場についても、学校の校庭か公園か、それぞれどのようなまちの文脈に属していて、誰の想いを喚起することになるのか、議論を重ねました。アーティストの大巻伸嗣にとって、独力で美しい風景をつくり出すことももちろん可能ですが、むしろ千住での彼のチャレンジは、どのような時間や空間をつくり出すのか、まちの人々とともに考えることにあるのです。

 このように、ある場所に、ある作品が出現することの意味や価値、さらにはその美的性質を、アーティスト1人の判断に頼るとは限らないアートプロジェクトは、近代美学の概念を覆す構造変革とも言われています。作品ごとに意味も価値も美的性質も異なってくるわけですから、一概に「これがアート」という定義は存在しません。むしろ、この作品のどこがアートなのか、否定的な意見を含めてさまざまな想いが投影されること自体にアートの存在意義があるような気もします。特に「工夫」はありませんが、プロセスの議論でアーティストや関係者のみなさんがぽんぽん投げかけてくる想いを、跳ね返したり、お、それいいねと膝を打ったりしつつ、生み出そうとしている場が、なんらかの「らしさ」を帯びてきたり、具体的なイメージが皆のなかで腑に落ちたりするところに辿りつくと、ほっとするというのが正直なところです。

(2015年1月6日)

アートプロジェクト 目次

1
アートプロジェクト事始め
2
Q&Aその1
「やってみなければ分からない」アートプロジェクトを説明する方法とは?
3
Q&Aその2
アートプロジェクトの現場における「アート」の定義とは?
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