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自由な脳と身体の協働の場として



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Olympia BY Kevin Dooley

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個人的にオリンピックにおける、国家を代表した競技という形式について、常に違和感を抱き続けてきました。スポーツ選手の競技の技術を競い合うのにどうして国別に分かれる必要があるのだろう。国家を個々人の選手に背負わせるという感覚が、身体的に「わからない」のです。

他の場所でも書いてきたことですが(ポリタスー豊かで複雑で美しい「生命」のような国へ)、私は日本出身で日本国籍の母と、台湾出身でベトナムとのハーフでありながら若いころにフランスに帰化した父の間に生まれ、社会人になる前に日本、フランスとアメリカでそれぞれ長い時間を過ごしてきました。

東京では幼稚園からフランス人学校に通い、パリでは中学から高校、高校の最後の年にはロサンゼルスに移り、現地で仏バカロレアを取得して卒業したのち、現地のアメリカの大学で学びました。そして今はフランス国籍の人間として日本で生活しているのですが、このような文化の狭間を漂いながら生きてきた人間として、「国籍」というものに対する帰属意識が、ずっと一つの国で生まれ育った人に比べて、希薄であるように感じます。

国民国家はもちろん血縁だけではなく、社会的な共同言説という文化コードを共有することで動的に発生するものです。しかし、私のような人間からすると、その人工的につくられた共同言説のリアリティを信じられなければ、そこに帰属する意識は持てません。それでは生物的な起源はどうなっているかというと、昨今は遺伝子解析サービスなどが安価になって民生にも降りてきて、誰でもウェブ上で民族的な起源の解析結果を公開することができるようになりましたが、特定の国境線の内側に全てのルーツが収まる人などほとんどいないのではないかと思います。

私自身は遺伝子解析を行っていませんが、民族的には日本、中国、台湾、ベトナムといった近似的な起源が祖父母の代から確認できます。しかし、日本は古来から大陸からの渡来系民族と混交していることがわかっていますし、中国はシルクロードの東端ですし、元の時代にはモンゴロイド民族、それ以前からいわゆるチュルク系民族が多く存在してきました。ベトナムにいたってはさらに複雑な民族構成でしょう。そんな人間が生物学的に見たときに、特定の国家という人工的な境界に帰属させられるわけがありません。

いまフランス国籍を持っていますが、それは幼少から享受してきた教育や文化といういわば精神的、もしくは情報的な血縁を指している程度で、同様にこれまで交流し影響を受けてきたあらゆる国籍の人間からも受け継いでいるわけで、いよいよ国籍というのものはただのIDのようなものにすぎないと感じます。

だから、国というのは出身学校程度のものだという認識にとどめて、オリンピックを再設計するということを空想しました。私は相撲が好きでテレビ中継を週末に見たりするのですが、土俵入りの際にテロップで「どこの国の人」という表記はせずに、出身地だけを書く。ウランバートル出身であろうとハワイ出身であろうと、等しく力士として扱う、あの方法がとてもしっくりきます。

オリンピックの出場選手にしても、国家ではなく、出身地域やアスリートとして成長した場所を表記する。そうすると、日本で生まれ育ったけれど高校時代に渡米して開花して、いまはフランスで活動しているという選手がいたら、日本人とアメリカ人とフランス人の観客はそれぞれ自らとのつながりやそれらの国同士の重なりに気づくことができるでしょう。

さて、この記事はオリンピックそのものへの提案ではなく、東京オリンピックが開催される時期にあわせて実施したいアートプロジェクトのプロポーザルということが筆者に与えられたお題目でした。バトンを渡していただいた菊池宏子さんも前回の記事で書かれていましたが、私もオリンピックはやはり個々人の競技選手が100%以上のパフォーマンスを発揮するために用意されるべき場だと思います。しかし、アートや芸術と呼ぶ領域とスポーツの間に根幹の共通性があるとも思います。それは、ひと言でいえば認識の拡張です。この観点に沿って、以下に、具体的なアートプロジェクトではなく、アート的思考の枠組みを提案したいと思います。

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Fiber optical lamp globe BY Groman123 column_proposal_3-6.png

優れたスポーツの競技を観戦しているとき、私たちは時として「それは人間に不可能だ」と思い込んでいた限界を選手たちが突破する瞬間に立ち会います。このように人間の身体的な限界を1秒でも、1ミリでも押し広げるという点と、優れた芸術作品を体験するときに、未知の知覚を刺激されたり、日常の中で埋没してしまっていた感覚を呼び起こされたり、またはミッシングリンクを発見し、つながっていなかったものがつながっていると思えることは、人間の広義の文化活動として通底しているのではないでしょうか。

私が前段で書いたことは、もっと抽象化して言えば、現在の社会システムは国家という人工的な境界線を用いて、本当は複雑な現実をかなり単純化した現実像のうえに立っているという指摘でした。冒頭で、どうして選手が国家を背負わないといけないのか、わからないと書きましたが、それは個人的な身体感覚の話で、社会経済的要因を考えれば、もちろん現在の構造に進化してきたことの理由は論理的には分かります。国民国家という幻想的な共同言説のうえに近代国家は成立してきたのであり、グローバル化した資本主義経済システムは国民国家を代表する選手に精神的な賭金を負託する市民の感情のうえにマーケティングを被せて大きなお金を動かす。そのお金が競技インフラに落とし込まれ、選手の育成と活動に活用され、国際的にも競争原理が働き、スポーツ全体におけるパフォーマンスが向上していく。さらには団体競技の場合などではヨーロッパにおけるサッカーのクラブリーグのように、多様な人種の優れた選手が混合して、ローカルな都市コミュニティの活性化にもつながる。このグローバルとローカルがつながった資本の循環構造そのものは人類の文明史の発展として見たときに、実は国境や国籍の見境なく、優れた選手たちに必要な資金を還元するうえで、非常に効率的で強力なものでもあります。それはたとえば19世紀に広告が誕生した結果、新聞メディアの経済的な自律を可能にし、情報が一般大衆に伝播していくことを支えたことと構造的に相同していると思います。

しかし、そのことは現行の社会システムをそのまま肯定すれば良いという結論にはつながりません。問題点をひとつずつ検証していく紙幅はここにはないですが、現代社会はインターネットを起点とする情報技術の浸透と発達によって、さまざまな変革の過渡期に立たされていることを見てみましょう。大きな変化の兆候を表すのが「透明性」というキーワードです。それはシリコンバレーに代表されるIT企業のつくり出す破壊的イノベーションと同等か、それ以上のインパクトを現代社会にもたらしていると考えます。

世界的にはエドワード・スノーデンによる米国の諜報活動の資料やジュリアン・アサンジュのWIkileaksによる国家の秘密文書、それに続くLuxleaksやパナマ文書といった企業のタックスヘイブン利用の証拠、スポーツにおいてもFIFAにおける収賄の問題、産業ではフォルクスワーゲンの排出ガスや三菱の燃費に関する不正報告といったものが暴露され、政治的、経済的な影響が生じています。東京のオリンピックについても、エンブレムのデザインの盗作騒動は、社会的な議論は甚だ未熟でありながらも、結果的に公的なデザインの評価基準を根底から覆す結果につながり、直近では招致委員会による不正送金の疑惑が発覚し、予断を許さない状況です。

これらの事象に関する共通点としては、それまでは一般的に「そうかもしれない」と思われていたけど、情報源が不確かであったがゆえに、社会的な問題として共有化されづらかったという側面が挙げられると思います。象徴的な事例としては、過去200年の税制データをかき集めて、資本収益率が経済成長率を超える傾向を浮き彫りにして、格差が埋まらない合理的な理由を示し、タックスヘイブン問題に対する処方箋を提案している経済学者トマ・ピケティの『21世紀の資本論』があります。彼の研究はアメリカ合衆国で格差にあえぐ若者世代を後押しして、Occupy Wallstreetに火を付け、直近では社会主義的公約をかかげて若者の支持を集めたサンダース議員の勢いに寄与したと見る向きもあります。また、タックスヘイブン関係のリークが相次ぐヨーロッパにおいて、初のムスリム系ロンドン市長に選ばれたサディク・カーンについても、労働党の支持が厚いロンドン市民が対抗馬の富豪ゴールドスミスではなく労働者階級出身のカーンに希望を託したという分析もあります。

こうした情報技術の浸透の結果による新たな社会変革の動きの中に、従来アートが担ってきた「認識の拡張」と通底する希望を見て取ることができると思います。換言すれば、それはオルタナティブの創出という意味です。乱暴にいうと、アートの効能とは、日常のなかで固定化してしまった現実像を解きほぐし、新たな知覚や情緒を持続可能なかたちに具体化させ、その価値を社会に伝播させるものだと思います。哲学者ジル・ドゥルーズは、印象派の画家が「印象を持続させなければならない」と話したことを引用しながら、哲学は新たな思考のかたちを生み出し、それを持続するために概念(concept)をつくる作業であると表現し、同様に芸術や諸文化は、持続する情緒(affect)や知覚(percept)をつくる作業であると説いています。

放っておいたら現実の摂理のなかで儚く消えていってしまう思考の断片(conception)、知覚(perception)、感情(affection)を、時間に抗って持続させること。その価値と、声なき声を代弁し、社会的公正性を高めることを是とする、民主主義やリベラリズムと呼ばれる社会合意形成の方法論のエッセンスは、通底するのではないでしょうか。そして、私たちは新しいオルタナティブを社会内で共有し、伝播する情報技術を手にして、複雑な現実に対してより肌理細かく向き合うことが可能です。五大陸から人間が一箇所に集結するオリンピックというテーマを起点に私が見てみたいアート状況は、国家や人種という粗雑な分類を取り払い、ナショナリズムというひどく旧い認識論を後退させ、もっと解像度高く世界を認識する方法を、ただ垣間見せるだけに留まらず、一気に社会に広めるようなプロジェクトです。

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Vue de l'exposition "Les Dérives de l'Imaginaire", dans le cadre de la saison 'Imaginez l'Imaginaire", 28.09.12 - 07.01.13, Palais de Tokyo, Paris. De gauche à droite : Guy Debord, Dépassement de l’art, «Directive n°1», 17 juin 1963 ; Réalisation de la philosophie, «Directive n°2», 17 juin 1963, Collection particulière. Photo : André Morin.
http://www.palaisdetokyo.com/fr/exposition/les-derives-de-limaginaire

20世紀中盤にシチュアシオニスム(状況主義)を標榜した芸術家のギー・ドゥボールは、その謎めいた趣旨文のなかで「日常の恒常的な異化」によって「芸術の超越」を行うという表現を掲げていました。アートが聖域として非日常から日常に向けて新たな価値を提案するのではなく、オルタナティブを日常生活に実装することのできる情報社会においてはそれはすでに起こりつつあることなのかもしれません。また、19世紀末のフランスの経済学者、ガブリエル・タルドは、「脳の協働」という概念を提唱しました。それは、人間の自由な移動による異なる情報の交換こそが経済活動の真の価値であるとする考え方です。それが今後どこで開催されるにせよ、オリンピックという国際的な舞台が人間であることを誇りに思えるような、自由な脳と身体の協働の場となることを願っています。

(2016年5月18日)

今後の予定

  • 日本デザイン振興会グッドデザイン賞
    2016年度の審査員(ユニット13:一般・公共向けソフト・システム・サービス)および「技術と情報」フォーカス・イシュー・ディレクター。

  • 6/8(土)「Culture & TOKYO」 TURN×RIOトークシリーズ登壇

関連リンク

現在開発中の匿名コミュニティ「シンクル」(iPhone/Android無料アプリ)。社会的属性から自由になりながら、自分のなかの多様な「好き」を表現したり見つけたりすることにフォーカスできる次世代コミュニケーションサービスです。
http://www.syncle.me/

おすすめ!

情報技術と社会的認識論を拡張させるバイオアートの歴史をまとめた『バイオ・アート バイオテクノロジーは未来を救うか』(ビー・エヌ・エヌ新社 )の推薦文を書かせて頂きました。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4802510195/

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

Christian氏は東日本大震災で被災した地域の長期的な再生に貢献するために、国内外のデザイナー、建築家、都市計画などの専門家の連携促進を目的とした「東北プランニングフォーラム」を共同で立上げ、現在もその活動を続けています。復興庁が、復興における東京オリンピックの開催意義を掲げる中、さまざまな専門家や市民と共に被災地の復興・地域再生に関わるChristian氏は今回のオリンピックについてどのように考え、そして「20万分の1のプロポーザル」を提案してくれるのか。Christian氏からの要望によりHASEKURA2.0設立者・代表理事のRenata Piazzaとの共同執筆、楽しみにしております。

2020年・東京オリンピック開催について(記者発表資料 平成25年9月13日 復興庁)

(林 曉甫さん)

20万分の1のプロポーザル 目次

1
あと4年。
2
ふつうの仕組みを解体する
ーCreative Disruptions of Everyday Norms—
3
自由な脳と身体の協働の場として
4
一方的な文化発信のためのアートか、市民社会活性化のためのアートか

5
参加と共創による文化創造が、2020を越える地域の未来をつくる
─都市デザインから見る文化プログラムの役割
6
オーケストラのもうひとつの道
日本フィルの「音楽の森」をとおして
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