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芸術と社会をつなぐ~2020年の先にある文化行政の現場とは?

私は横浜市芸術文化振興財団において2007年からアーツコミッション・ヨコハマ(以下ACY)というプログラムを立ち上げて以来従事している。ACYとは「中間支援」であり文化芸術創造都市・横浜という横浜市の政策の一環で行われている。

芸術と社会の関係性について概念的な議論は他の方にお任せするとして、私は芸術と社会の間には境界線があり、その境界線をどう越えていくかが芸術文化振興を担う私たちの仕事だと考えている。

私は17年間、現在の組織で働いている。入社から2年間地域の文化センターに勤め、その後にフェスティバルを5年間担当し、横浜市の創造都市事業本部に1年間派遣、財団に戻り今のACYの担当をして10年が経過しようとしている。生涯学習、市民文化における文化政策を出発点として、シティセールスとしての芸術文化の役割、そして創造都市という都市経営政策にかかわり、劇場や美術館に属さない中間支援プログラムと、横浜市の文化政策の広がりに沿ってさまざまな現場を担当して貴重な経験を積ませてもらっている。

中間支援の現場としてアーツコミッション・ヨコハマでは助成制度の運用に加えて、相談窓口を設けている。これまでに私個人も1,000件を超える相談を受けており、その内容はアートやデザインの企画の話にはじまり、広報、公共空間利用、民間不動産の活用、企業や行政とのマッチング、調査研究等々多岐にわたる。皆さまの多様な相談のおかげで、自分の知識やネットワークを広げてきた。

今回のリレーコラムのテーマ「これからの生活と表現」。私なりに2020年の先にある文化行政の現場とはどのようなものか想像してみたい。このページはアートマネジメントを学ぶ方々も読むだろう。当方でもインターンの受け入れを毎年行っているが、2020年以降日本の文化行政の現場を担っていくのは今の10代〜30代の方々である。私は、まだ皆さまのちょっとだけお兄さん程度の年齢だが、少しでも自らの経験をお伝えすることができれば幸いである。

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コンテンポラリーズによる「親子で馬車道におうちをつくろう!」(関内外OPEN!7開催風景)

これからのアートマネジメントを担う領域「中間支援」

「中間支援」。いまだアートマネジメントの世界では聞き慣れない言葉かもしれない。その歴史を語るとACYより先ではトヨタアートマネジメントやセゾン文化財団などの企業活動に代表され、数々の専門的なアートNPOや非営利プロジェクトとそれらをつないでいたアートNPOリンクなどの活動から始まる。ACYより後にできたものではHAPS(東山アーティストプレイスメントサービス)やおおさか創造千島財団、東京アートポイント計画などがある。その手法は所有財産の活用から遊休不動産を活用した生活文化としての芸術拠点の形成、エリアマネジメントへのアプローチ、調査研究や法律・会計相談までいまや多岐にわたる。

民間非営利組織では長らく重視されてきた領域であるが、国や自治体の文化政策の中心が劇場や美術館、芸術祭であったのに対しここ10年くらいで新たに生まれてきた流れである。

これまでアートマネジメントの世界で働く方のキャリアが、プロデューサー、ディレクター、キュレーター、アドミニストレーターやエデュケーターであったのに対し、この中間支援では以下を目指す。助成を企画立案し実行するものであればプログラムオフィサー。相談業であればさまざまな横断的な知識をもったコンサルタント、コーディネーター、適切なチームをキャスティングして表舞台にあげる能力を有するものなど。プロモーションや編集、法務・財務の世界でも、職能としてのこれらの専門性に加えて芸術文化に精通した人材が現れている。

これから全国で立ち上がる「日本版アーツカウンシル」という場合、東京を除きほとんどの地方都市では海外のような国家的アーツカウンシルよりも主にこの中間支援型プログラムとなるのではないだろうか。(さすが東京は両方を内包しているが…)。助成制度のあるなしにかかわらず調査や評価を軸に情報の集約発信機能を有し地域の核となるプレイヤーをつなぐ。これらは中央集権型としてのカウンシルではなく集合知・多中心型のチームビルディングの役割を担う存在で、それを担う者は「知」としてのアートのみならず「業(ぎょう)」としてのアートを理解していく必要がある。

公立=公共なのか?

私が「業(ぎょう)」としてアートを理解していくうえで大切にしていることは「なぜ芸術文化に税金を使うのか?」という自らへの絶えない問いである。もちろん自分の答えとしては「芸術文化への公的な投資をやめてはならない。教育と同様に中長期的な視点にたって、現在と未来へ向けて社会全体で“人”への投資として続ける」と考える。

ここでいう「公的な投資」とは国や自治体の歳出、企業活動、個人の寄附、ソーシャルレンディングも含めたクラウドファンディングなどを含む。いまやファンドレイジングの手法は多岐に渡ると同時に近年は貨幣経済だけでなく社会関係資本、ボランタリー経済も視野にいれていかなければならない。

そして、必ずしも「公立=公共」でなく、行政の取り組みのみが公的な投資ではない。自治体や公益財団法人は高い公益性をもって然るべきだが、その組織の公共性が高いか否かは自らの呼称や組織体で決まるのではなくそのメッセージを社会と共有することからしか始まらない。

つまり、行政が主体となって取り組むことの是非のみを論じることは、芸術に関する公的投資の議論の本質ではない。芸術が社会に不可欠であると考え行動するプログラムオフィサーは、行政の取り組みも含めたさまざまな事業を駆使して社会を巻き込んで持続可能な環境を生み出していく必要がある。現に行政の助成よりも企業財団支援の仕組みの方が歴史も古く実績があるのだから。

世界の中心で独立を叫ぶより対話を選ぶ

公的投資の一つとして行政からの助成金がありACYでも運営している。2008年から取り組んでいるのでこれをもって日本初の自治体におけるアーツカウンシル機能という評をいただくこともある。ただ、助成制度やアーツカウンシルについて、ここネットTAMで書こうと思っても、すでに片山正夫氏や山口洋典氏の素晴らしい文章があるので、ここでそれについて何か書くのは憚られる。

どれも理論だけでなく実際の運営にも携わる方の文章で、私もいつも参考にしている。プレイングマネージャー兼研究員、理論と実践を絶えず行き来する皆さまをみているとアーツカウンシルや中間支援のキャリアとして目指すべきはこうでなくてはいけないと感じる。

そこで、私の方からはとても諸先輩方のようにはいかないが、最近よく話題にあがる文化行政の「独立性」について、行政の予算化と助成決定の仕組みを説明しながら実際現場で何を考えているのかをお伝えしようと思う。

ACYの助成制度が予算化される場合、その予算編成(計画)は首長をトップとした行政(横浜市文化観光局)で、議決(承認)は議会で行われる。予算化されるとその予算が当財団に執行されて、財団内の一事業として助成制度の具体的な企画や運用を行う。助成の採択は外部有識者の審査会を経て、財団内で決済される。

つまり、予算化段階では「多数決」、交付決定段階では「専門家による合議」という二つの民主性が組み合わさり評価されている。助成制度は、「申請者からの提案」を前提としているため、ここに3番目の民主性として「個人の意志」が入り込む。このように助成は、自己と社会、内と外、個と全の関係を行ったり来たりすることで最終的にアーティストの活動などに交付されている。

では、よくアーツカウンシルの議論になった際にのぼる「アームズ・レングス原則」にある「独立性」とは、この過程の中でどのように働いているのだろうか。

一般的な「独立性」の解釈として、それは政治権力からの中立性・専門性のことを指している。確かに、個人の表現を追求する、多様な芸術を内包する社会とは一つの公共の実現であり、先に書いたように公立○○と自らを名乗る芸術機関では当然果たすべき責務だろう。したがって仮に自治体の予算を使用した作品やプロジェクトがあったとして、その表現内容に対して予算を出した側が自主的な規制を働きかけるのは適切ではない。これをもって「独立性」の重要性を述べるのであればその通りで、独立できるできないにかかわらず、法律に則って個人の表現を尊重しなければならない。

一方、「文化行政」の役割は、芸術の本質を議論するのとは関係なく日増しに社会の要請を受けてその領域を広げてきており、福祉や医療、教育、防災、まちづくり、震災復興などの他分野の政策と連携した取り組みが期待されている。また、あたり前だが多くの人にその魅力を伝えることも要求される。これらに対して、それら「芸術×○○」「芸術+○○」という考えは「芸術」の本質からして、あるべき姿ではないという意見もある。それは芸術側から見れば正しい。

しかし、運営側から見ると行政予算を使用するかぎり、社会の要請にできうるかぎり応えていくのは務めであり、「文化行政」という言葉が名で体を表しているように、その領域内にいる者は望む望まざるにかかわらず芸術と社会の間を埋める役割を担っている。「芸術」を社会がどう捉えるかは多様な考えがあり、私たちはそれを作品や展覧会等を通じて社会に伝えることはできたとしても、「芸術」が社会の中でどうあるべきかという主張を社会全体に強要することは、芸術が元来持つ広い公共性からいえば難しい議論になるだろう。

私は、この「芸術とは何か」という永遠のテーマを皆が悩むことで仕方なく生まれてしまう“緩やかな断絶”を悲観していない。むしろ、こうした課題に積極的に身を投じて芸術と社会の接点を増やして摩擦をどんどん起こすとよいと考えていて、結果的にそれを乗り越えた先に獲得できる本当の豊かさや新しい表現があると信じている。

ACYでの業務経験からいうと、助成運営者側が行政へ計画段階で説得力ある情報を出して調整できるかが制度企画の鍵となる。実際、ACYがうまくできているか自信はないが、うまくいけば結果として部分的にせよ「政策提言」のようなものになるし、腕の長さは別としてある種の「アームズ・レングス原則」を確保できる。また、ターゲットを明確に絞った制度はその投資に対して有効な成果をもたらしてくれるので、出し手も受け手も社会も三方にとってよいプログラムになるのはいうまでもない。

こうしたことから、文化行政がこだわるべきことは、「独立性」より「社会との緊張感ある対話」とした方が私としては腑に落ちる。私たちは、アーティストやディレクターなどの当事者を巻き込んで、行政も含めた街全体のチーム力で社会からの投げかけを解いていくことが求められている。

小さな開発から見えてくること

今回のコラムではACYの立ち上げの経緯や、私が担当する関内外OPEN!や芸術不動産などの具体的なプログラムについては言及できなかったが、もし興味を持ってくださったのであれば以前書いたこちらの二つの文章を読んで欲しい。「アーツコミッションとは何か?現状と課題/2008年9月横浜市調査季報より」「なぜ、街にアーティストを招き、スタジオを開くのか/2012年10月創造都市横浜WEBマガジンより」。

関内外OPEN!8開催風景

ACYは小さい。373万人超の人口を抱える横浜市の平成28年度一般会計予算のうち文化予算(横浜市文化観光局文化芸術創造都市推進部+文化プログラム部)にかかわるのは0.3%。横浜美術館や横浜みなとみらいホールなどの指定管理をする当財団に委託や交付されている市費は0.16%で、ACYはさらにその財団内の2.19%程度の存在である。(この文化行政の予算とは施設整備や修繕にかかる予算次第で増減してしまうので、割合で示すのは適当ではないかもしれないが、ACYの規模を示すために提示。)

また、創造都市横浜もACYも私自身が発明したものではなく、私自身はここ十数年間横浜の政策をリードした人たちのコンセプトを愚直に実現化してきたまでである。ただ、一担当の矜持としては、10年前から私がこの中間支援で培った技術やネットワークが、いつか芸術文化振興に大きな役割を果たし新たな地平を拓くと信じて取り組んでいる。

昨今、文化行政の大きな課題の一つとして公立文化施設の大規模修繕のニュースが後を絶たない。再び20世紀のハコモノの文化行政から脱却できていない現実を突きつけられているが、人口減少・超高齢化社会で公立文化施設のすべての利用者が減少傾向となり、自治体の歳入も個別の利用料も入場料収入も大幅に減っていくことが見込まれる中、建設当初より状況はさらに厳しくなっていく。そこへ建設時と同じくらいの金額をかけて修繕したところで、以前とまったく同じ仕組みで運営をすれば早晩破綻するのは火を見るより明らかだ。

修繕にかかる予算は、報道によれば京都市美術館で93億9千万円、パルテノン多摩で約80億円。これらを賄う行政の執行手法もこれまでとは大きく変化していきそうだ。京都ではネーミングライツで歳入を増やす方法が検討されているが、これからは現行指定管理レベル(単なる委託)ではないPPP(public private partnership)の取り組みが主力になってきそうである。福岡市美術館はPFI方式で行われ今後の運営は民間事業者へ移行することが決まっているし、文部科学省は博物館や美術館へコンセッション方式の導入を促す方針を打ち出すとニュースにある。

仮に、先に示した80〜100億円をハードではなく、ソフトに使おうと思ったら…、PPPを最大限活かした取り組みを公立文化施設から発信できたら…。現状数字は悲観的な様相を見せるが、今よりもっと都市の生活文化に根差し、多くの人が訪れる公立文化施設へ変化していくよい好機ととらえることもできる。その結果がうまく出せたところは、これまで芸術文化へ投資し続けたことにより創出した価値を未来へつないでいけるし、そうでなければ厳しい現実が待っているだろう。この成否において運営者の責任は大きい。無論他人事ではないが…。

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BUKATSUDO(関内外OPEN!8開催風景より、アーティストKAIE)

これまでACYは民間パートナーとともに、とても小さな拠点小さな動きをまるで鍼治療をするかのように街中に施してきた。最近では企業(リビタ、三菱地所、三菱地所プロパティマネジメント)との連携も実を結びBUKATSUDOなどの活動も生まれている。これらは民間の不動産を活用している。

西洋医学的な外科手術ではなく東洋医学的な内なる治癒力を大切にするとも解釈される創造都市政策は、意志をもった個人の主体性を尊重し、それらがつながっていくことで“都市の内発性を高める”政策である。私は、中間支援を通じて培われた“つなぐ意識”、“小さな開発”へのアプローチを、公立文化施設の持続可能性という大きな課題の解決に活かしたいと考えている。

2020年、私たちはあらゆる境界を越えられるか。

文化芸術創造都市・横浜の最大功績は何かと問われれば、それは都市全体として取り組んだ成果として、日本中に創造の担い手を輩出したことではないだろうか。もちろん、BankART1929を始めとする民間パートナーも含むオール横浜だけの功績ではなく横浜に協力してくださった多くの関係者の力によるものだし、ほかにも多くの都市やプログラムが人を育てている。ただ、このコラムにも出てくる今を時めくアートマネージャーたちは、都市を強く意識した横浜の文化行政のパートナーとして働いて得た経験やネットワークを糧に現在の活動をしているはずだ、私がそうであるように。横浜にいる私にとって、そこを飛び出して国内外で仕事をする彼ら彼女らにはただ尊敬の念しかないし、いつしかまた横浜で集結して何かを一緒に企みたいと思っているが、一方で各地に散っている仲間が2020年に向けて各地でそのエッセンスをもって行動すると想うと興奮する。

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「集まれ!アーティストイニシアティヴ」2008年11月7、8日 BankART1929提供

2020年に向けて、私はアートマネジメントの現場にいる一人の担当として、政治や哲学を語ることはアーティストや研究者に任せて、芸術と社会の境界線を一気にそして確実に越える機会とすべく、仲間とともに横浜のチーム力で一つでも多くの実践の場をつくっていきたい。2020年以降に社会を巻き込んだ「私たちの文化行政」が実現することを目指して。

(2017年1月16日)

今後の予定

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Sensuous City〜官能都市〜
8年前にACYの相談窓口を通じて知り合ったHOME’S総研所長の島原万丈さんを筆頭にまとめられた調査研究レポート。すでに発行から2年が経過しているがまったく色あせない。文化行政の評価もこのレベルでつくるべきという自戒の念をこめて。評価でお悩みの皆さま、ぜひ参考に!

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

最後のバトンは、アートマネージャーであり、各地でアートプロジェクトに取り組むアーティストユニットNadegata Instant Partyのメンバーである、野田智子さんにお渡しします。アートマネジメントに取り組む際に、そこで扱うアートを社会とつなげていくことを私たちは意識するわけですが、アーティストに近い立場で仕事をしている野田さんは、どのようにアートマネジメントに向き合っているのでしょうか。また、私生活が大きく変わる中での仕事への取り組み方にも変化があれば、うかがいたいです。(橋本 誠│アートプロデューサー/一般社団法人ノマドプロダクション 代表理事)

これからの生活と表現 目次

1
芸術文化プログラム急増の時代に身を置きながら
2
ずっと働いているようで、ずっと遊んでいるような生き方
3
同時に複数の場所と時間を生きる
4
生活を微視的に見つめる視線、の先に広がる都市空間
5
芸術と社会をつなぐ~2020年の先にある文化行政の現場とは?
6
生きた生活から表現は生まれる─アートマネジメントと向き合うポリシー
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