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同時に複数の場所と時間を生きる



僕は、国内外で多様な人と協働/共同による展覧会やアートプロジェクトにキュレーターとして参加しています。この10年は、山口に3年半、青森に6年半拠点を置きアートセンターで学芸員として勤務しながら、同時に国内外のさまざまな土地でのプロジェクトにかかわってきました。現在は、名古屋を主な拠点として、月の半分くらいを名古屋で過ごし、あとの半分はその他の地域での活動に従事しています。今でこそ、アートの仕事を続けてきたと言えるのですが、もともとは少し異なったモチベーションから現在のような活動に至りました。

建築からアートへ

東京の大学で建築を学んでいた90年代後半から2000年代前半は、六本木ヒルズやミッドタウン建設に代表される六本木の再開発や、丸の内再生のような大規模再開発がたくさん起こっていました。多くの建物が崩され、巨大な超高層ビルへと変貌していきました。もちろん経済合理性や不動産価値の向上、人口問題など諸問題に対応していくためには、これは合理的な手段だったのでしょう。ただ、僕自身は、なんでもない風景を眺めることや、都市の隙間を発見することが好きで、なんとなく大規模再開発の推進に加担したくないなという思いがありました。

そんなときに何気なく手にした本で、路上観察学会や赤瀬川原平さんの活動を知りました。観察し記述することで、物の価値や人の視点が大胆に変換されることに驚きを覚えました。ユーモアと笑いをもって既存の都市の風景や歴史の積み重ねを積極的に楽しむ態度を、美しく感じ、現代アートに衝撃を受けたのでした。まさに、「生活と表現」の美しい関係を提示された体験でした。

さまざまな理由で都市の形態は更新されていきます。それ自体を否定する気はありません。しかし僕が美しいと感じる人と場所の関係や風景は、大規模再開発により奪われてしまうことも多々あるというのを、東京に生きることで実感しました。そして、やはり自分はそこに直接かかわることを避けたいという思いが確信にかわりました。

ゼネコンのような大組織で新しい風景を切り開いていくよりは、既存の生活の風景を丁寧に眺めることから、都市とかかわる別の(オルタナティブな)方法を発見したいと考えるようになり、東京ではない別の都市に暮らし、アートに関与するようになりました。

縁側の拡張としての半公共空間

2006年から山口県の秋吉台国際芸術村で働き始め、アーティスト・イン・レジデンス事業(AIR)などを主に担当しました。公共の文化施設だったので、「みんなにわかりやすいものを」ということが求められました。しかし、一瞬で誰もが理解できるものがほんとうに面白いものなのか、アーティストのつくるものはそんなに単純化できるのだろうか、という疑問が湧いてきました。そもそもアーティストはわからないことがあるからこそ、作品制作を通じて「わからなさ」を共有しようとするのではないでしょうか。「みんな」ということばに徐々に違和感を感じるようになりました。顔が見えない「みんな」が「よい」と思うことが「公共」であり「アート」なのだろうか。そんな疑問がふつふつと湧いてきたわけです。

一方で、山口では同世代のたくさんの友人との出会いがあって、当時山口情報芸術センター[YCAM]で働いていた友人たちと一軒家をシェアして住むようになりました。そこが、Maemachi Art Center (MAC)といわれる住居兼アートスペースです。MACという場所は、自分にとって「公共性」を再考するよいきっかけとなり、煮詰まった気分に風穴を開けてくれました。川の前に開けた小さな一軒家で、巨大な文化施設では生まれない非常にリラックスした関係が形成されました。公共機関でワークショップを企画しても参加者を集めるのはなかなか大変なのですが、ここでアーティストを囲む飲み会をしようと呼びかけると、瞬時に波及していき毎回多数の人があつまり、濃密な対話の時間が生まれます。アートと直接かかわりのない近所の人や子供たちもよく遊びにきていて、ときに美術館などで作品を鑑賞するよりも、深くアートについて考える場が生じることもありました。縁側が拡張したような、ほんの少し開かれた半公共空間(セミパブリックスペース)での多様な人との協働/共同に魅力と可能性を実感した経験でした。

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2009年のMaemachi Art Center (MAC)。度々前に流れる小さな小川の上に川床をつくってイベントなどを行っていました。

アジアでの協働/共同

前述のような経験から、僕は個人のキュレーションによる展覧会より、他者との協働/共同による展覧会やプロジェクトの実践により魅力を感じるようになりました。実際、ここ数年は共同キュレーションのプロジェクトに注力してきました。

2012年から2014年にかけて、国際交流基金の主催により、アジア6都市で開催されたメディアアートに焦点をあてた展覧会に参加しました。この展覧会には、東南アジア6ヶ国と日本から、いわゆるキュレーターだけではなく、アーティスト、ギャラリスト、ライター、エデュケーター、研究者などさまざまなキャリアをもつ13名がキュレーターとして招聘されました。展覧会は、当初東南アジア4都市を巡回するかたちを想定されていたのですが、実際に現地リサーチに行くと、それぞれの国のアートを取り巻く状況は大きく異なり、展覧会場の規模や様相もまったく異なるため、同じ展覧会を単純に巡回するのはほとんど不可能だということがすぐにわかりました。また、何をもってメディアアートとするかも国や地域によってさまざまで、「これが現在のメディアアートです」と定義したり提示したりするのは、多様なあり方や価値観を狭めるだけで、あまり建設的な意味が感じられず、それは回避し、メディアとアートの関係に立ち戻ることからスタートしました。

東南アジアでおもしろかったのが、メディアやアートの創造性を駆使し、ないものはつくってしまうDIYの精神を強く感じたことです。現在は、パーソナルファブリケーションが隆盛していますが、ある意味それを先取りした状況がありました。そこで、最小のものづくりの現場である「キッチン」を比喩的に用いて、メディアとアートの関係から新たな創造が生まれる現場を立ち上げるということで、「MEDIA/ART KITCHEN(メディア/アートキッチン)」というタイトルを掲げました。共通のテーマ・タイトルのもと、アジアの複数の都市で、その土地ならではの展覧会を次々に実現するという構造でした。

フラットな関係での共同キュレーションは、自由に意見を述べ合い対話ができる一方で、物事の決定が容易ではありませんでした。多数決ではない方法で、全員の合意を得るときには、徹底的に話しあうことが必須ですが、ときに妥協が生じたり、最初はエッジが効いたアイデアが少しずつ角がとれていき甘くなってしまうなど難しい側面もあります。微妙なバランスをどこで保つか、物事を決定するプロセス自体がエキサイティングなものでした。そもそも、世の中の多くのことは、微妙なバランスで成り立っていて、諸々の交渉のうえで最適なあり方を探っていった結果、展覧会や作品といわれるものが生まれていくのだなと実感したわけです。

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「MEDIA/ART KICHEN AOMORIー ユーモアと遊びの政治学」(青森展)の展覧会場。(撮影:小山田邦哉)
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13名の全キュレーターが集合したバンコク展でのオープニング・シンポジウム。

余白をつくる

去る10月に閉幕したあいちトリエンナーレでも、やはりプロセスベースの共同プロジェクトをいくつか展開しました。芸術祭は、何十万の人が見にくるため、たくさんの人数に対応できる展示というフォーマットが基本となります。その観客層にはさまざまなレイヤーがあり、普段は美術館などにはあまりいかない方や、愛知県外在住のアートファンなど限られた時間でトリエンナーレを体験される方もとても多いです。一方で、愛知県内に暮らしていてボランティアでかかわったり、リピーターとして定期的にイベントに参加する人もいます。多くの方に楽しんでいただくのはもちろんなのですが、ボランティアやリピーター的観客として深くトリエンナーレにコミットしている人が、より積極的にかかわることができるのりしろや余白を多くつくっていきたいと考えました。ある程度長いスパンでかかわるからこそ見えてくる風景を共有できる場を生み出したいと思い、会期中に変化していくプロセス重視の作品やイベントなどを組み立てています。

ひとつが、西尾美也さんと403architecture [dajiba]のコラボレーションによる《パブローブ》。通常洋服は個人が購入し所有するものですが、《パブローブ》は地域の人から寄付された服により形成される誰もが利用できるパブリックなワードローブです。プロジェクトメンバーと呼ばれる30名程度のボランティアとともに運営され、服の収集から管理運営、イベントの企画実施までメンバーが中心となって取り仕切り、なにか問題が発生するとみんなで解決法を話し合います。図書館のような場で、参加メンバーがパブローブという空間の創造的な使い方を自主的に探求していきました。寄付された服は、最後には来場者に再寄贈されるかたちで、再度人の手に渡っていくなど、ものの循環や資源についてあらためて意識する場でした。そして、起こっていることをどのように記録し保存するか、なにをもってアート作品とするかなど、参加と創造の関係、「公共空間」としてのアートプロジェクトのあり方を思考する場でもありました。

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10月15日、山下陽光さんを招いて《パブローブ》の服を用いた公開制作とトークを実施したときの様子。

まちなか会場の長者町では、インドネシアのアーティスト・コレクティブ ルアンルパが会期中ずっと滞在してプロジェクトを実施しました。文化や芸術にかかわる施設やインフラが乏しいインドネシアのジャカルタで活動する彼らですが、その状況に不満を漏らすのではなく、常にユーモアと遊び心、そして笑いを忘れずに、集団による芸術文化活動の実践を通じて公共空間獲得に取り組んでいます。あいちトリエンナーレでは、都市を創造的にサバイブする戦略を身につけたカルチュラル・エージェントを育てるべく、「節約、多産、幸福」をモットーに、《ルル学校》という参加型プロジェクトを展開しました。さまざまなスキルをもった専門家がボランティアベースで多数の講義やワークショップを実施し、公募で集まった10名程度のメンバーが彼ら独自の課題を発見し、それを解決するプロジェクトを実現しました。《ルル学校》を展示作品として短い時間で鑑賞しても全体像をつかむことは難しいのですが、深くかかわったり定期的に訪れたりすると異なった風景が見える仕組みになっています。

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《ルル学校》プロジェクト参加メンバーによる卒業プレゼンテーション、パフォーマンスの様子。

もうひとつは「コレクティブ・アジア」というレクチャーシリーズです。毎週水曜日の夜、展覧会が終了した閉館後のまちなか会場で、ひっそりと始まる90分のトークと対話の場です。近年アジアで起こっている、集団的な活動やアートスペースなどを紹介するもので、あいちトリエンナーレを訪れる人にゲスト出演をお願いしたり、各地のコレクティブとスカイプをつなぐなど、事前に決め過ぎないで即興的に柔軟にプログラムを組んでいきました。観客は、年齢も経験もさまざまで、毎週欠かさずやってくるレギュラーメンバーも多数いました。結果、あいちトリエンナーレにおいてコレクティブ・アジアは、「解放区」と言えるような特別な時間と空間を実現しました。芸術祭では掬い上げることが困難な、マジョリティからは外れてしまう「その他」に目をむけ、ゆるやかに、のんびりと、誰にも制御されない、支配を免れる自由な場ができていました。

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コラムプロジェクト「コレクティブ・アジア」、9月28日の第7回目トーク。ゲストの龔卓軍(ゴン・ジョジュン)さんは台南藝術大学の教授で台湾の芸術批評誌「Art Critique of Taiwan (ACT)」の編集長です。

一方、あいちトリエンナーレと同時期に名古屋港エリアで展開されたアッセンブリッジ・ナゴヤというフェスティバルに、アート部門ディレクターとして参加し、港まちでアートプログラムを実践するMAT, Nagoyaのメンバーと「パノラマ庭園ー動的生態系にしるす」という展覧会を共同で企画しました。こちらは、いい意味で小規模の、地域に深く潜るかたちのプロジェクトです。名古屋港エリアに根を下ろし、地道で丁寧な活動を展開するMAT, Nagoyaの面々と一緒に展覧会をつくることで、非常に多くの学びと発見がありました。かゆいところに手が届く柔軟さとホスピタリティ。トリエンナーレという巨大なフェスティバルでは見過ごされがちなものを、うまく拾いあげていました。

また、MAT, Nagoyaディレクターの吉田有里さん、青田真也さん、野田智子さんは、それぞれなんらかのかたちでこれまであいちトリエンナーレにも参加しており、それを経ての現在でもあるため、芸術祭が人材育成の場になっていることを実証しています。港まちでは、まちの生活の風景に静かに少しずつ、ゆっくりとアートが浸透しはじめています。今後も継続してさまざまなプログラムが展開されるので、まずはぜひ足を運んでいただきたいです。

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20数年使われることがなかった元寿司屋を、アーティストのL PACK.と建築家、構造家、工務店の方々が協力しワークショップなどを経て、半年かけてカフェ兼アートスペース《UCO》にリノベーションした。ゴードン・マッタ=クラークの《food》と《splitting》を展示した他、トークやイベントなども多数開催した。

これらのプロジェクトの多くは、経済的合理性や資本主義的価値判断からは少しずれた価値観のもとに組み立てられています。また、いわゆる芸術祭で求められる祝祭性が強く、わかりやすいものではないかもしれません。スタート時には先がみえていないことも多く、壮大さもあまり求めていません。どちらかというと、日々の生活のなかで小さな異和感や疑問を発見するきっかけを生み出し、各人がそれを自分で考えアクションを起こすことを誘発するための種蒔きを続けてきたという感覚があります。異なった土地や状況における複数のプロジェクトに同時にかかわることは、とても刺激的です。僕は、さまざまな地域に暮らしコミットすることで、創造のプロセスを色々な人と共有し、遊びの心をもってそこにある余白を広げ、独自の公共空間を築くことをずっと試みてきたのかなと、あらためて思いました。

(2016年11月17日)

今後の予定

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次回執筆者

バトンタッチメッセージ

3本目のバトンは、建築を出自としながらも、場づくりやアートプロジェクトにもさまざまなかたちでかかわってこられている藤末萌さんにお渡しします。建物を建てるだけではない仕事が求められる時代になってきている建築家やその界隈の方々の仕事は常に気になるところですが、アートプロジェクトの現場も知る藤末さんや、同世代の建築家にはその風景がどのように見えているのか、教えてください。(橋本 誠│アートプロデューサー/一般社団法人ノマドプロダクション 代表理事)

これからの生活と表現 目次

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3
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