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目の前の世界を、自由にみつめる

 人と話をするとき、私は電話よりも相手の顔を見て話すほうが好き。その人の持つ言葉から意味を読み取って言葉を選んで話しているから。だから、話す人によって出てくる言葉がよくも悪くも変わってしまう。でも、こうやって見えない相手に言葉を使って伝えるとき、初めて自分の言葉が出てくる。「どちらかというと、これ」という単語が、文法となって連なって、物語となって構成されて、どんどん活字になって、自分のイメージしている景色が言葉でもって立ち上がってくる。いままで言葉にできなかったこと、しなかったことを、おぼろげながらに書いてみようと思う。

 2011年11月に大阪市長選挙があって、市長が変わり、文化施策の見直しによって、私のかかわっていた文化事業が突然終了することになった。これまで大阪でやってきた仕事が4月でパタリとなくなってしまう。「社会」ってやつは、知らない間に私の生活に忍び込んでいて、大胆にも変えてしまうのね。そして、私はこんなにも「社会」にかかわっていたのね。05年、専門学校を卒業するころに周囲の「社会」のたいへんさみたいなものを見たり聞いたりして、なんだかよくわからない「 」づけされた言葉にビビって、逃げようっと思ってたものの、大阪を出ようにも目的もないし、それでも日々お金がないと不自由だしで、結局設計会社でバイトした。「社会」を見て見ぬ振りしながら、お金を稼いで美術鑑賞したり、友だちとだべってたけど、会社にいる「社会人」の姿を見て、そんなに悪い感じじゃないことを知った。それで、バイトを辞めて、ひょんなことから大阪のアートNPO界隈で仕事をするようになって、ようやく一人でここから「社会」を見ることができる……ってとこだったのに! どーしよーかなー。

 私の仕事は、大阪を離れ、いろんなまちに行って作品制作をすることが何度かあった。見知らぬまちの人と話をしてると、方言・生活文化、すべてが私の持ってる感覚と違って、その違いに「なにそれ!」と驚きながらぐんぐん相手を理解しようと試みる。けれど、絶対にそれ以上は理解できない境界みたいなものにぶつかった。その境界の超えられないところに自分のちっぽけさを抱きながら、どうにか向こうと私がつながって、大きくなることができんもんかと作品制作をしてた。お金はほとんどもらってないけど、あのとき過ごした時間は、どこでも経験できないたくさんのものを得た。また、ときには、アートディレクターという役割で、小学生を対象にしたプログラムをいくつか企画した。小学校にアーティストを招いて、アートプログラムを実施したり、ある地域の子どもたちと綿密に話し合ってイベントをプロデュースしたりした。子どもだけじゃなく、子どもの周りにいる大人にもアートプログラムを企画したりした。特に子どもたちを見ていると、彼ら彼女らの抱えてる生活背景や心の変化が、いまの自分と違って新鮮であり、それと同時に、自分の中で忘れてしまった「人間の力」みたいなものを見る瞬間があった。そうやって、仕事を通して自分には持ってない、いろんな「個人」と接して、人間のすごさとか、一人ひとりの持つ技術を知って尊敬と学習をしてきた。

 そうして仕事をしていると、社会に対する恐怖心が薄れてきた。意味のあること、誰もが必要とされていることに限らず、時間が経って意味のなくなったこと、まだ意味の見いだされていないこと、なんでもいいから、私っていう小さい一人の人間ができることをやればいいねんな、って。どんどん勇気が湧いていた。それでもたった一人では不安なので、私は仕事を通してみんなも乗れるような船をつくってきたように思う。小さな一人ひとりの知恵や技術を集めて、組織や関係性を超えてお互いのできることを尊重しながら、目的地へ向かうような船を。そのプロセスの中で、自分たちが気づかなかった技術の発見や見たことない景色を見てきたんだと思う。あー、そうだ、そうだ。私は世界を見ていたいんだった。ぼーぜんとして立ち尽くしてたあのまっくろな世界を、自分の目で自由に見つめるために、船をつくってきたんだった。目の前の世界を徹底的に見ていたい。そこから見えてくる、歴史や記憶、いま残ってる意味がないと言われるもの、これから生まれてくるもの、自分をとりまく世界を。そしてその目の前こそが、広い世界につながってることをイメージして振る舞っていきたい。風が吹いたら、帆を上げ下げするように自由な自分の感覚で、見るって行為をしていきたいんだった。

 そういうわけで、私は春から大阪を離れて、鳥取へいってきます。11年から、鳥取県東伯郡湯梨浜町という小さなまちで漁師小屋だった場所を改造して三宅航太郎くんと一緒に活動拠点をつくりました。今年は、元旅館だった場所を活用して誰もが滞在できる事業を立ち上げます。今度の仕事は、鳥取の小さなまちで生活しながら、時間をかけてつくる大きな船になりそうです。事業期限もないし、いままでみたいに近くで教えてくれる人もいない、大阪みたいなド派手な観光地でもない、あるのは山と大きな池と水鳥と、昔から存在し、沈黙している文化や生活。そのあらゆるものごとを一個ずつ自分たちで足下から見つめて、みんなへ伝えていきたいと思います。忍び込んでくる社会をしっかり見つめて、無責任な希望を持って、制度や仕組みを利用しながら、目の前で吹く風を純粋に感じていたいと思う。大阪は離れるけれど、いままで通り私は鳥取から大阪へかかわりたいと思っているので、親愛なるみなさん、まだ見ぬあなたも、どうかこれからもよろしくお願いします。

(2012年2月22日)

今後の予定

鳥取県湯梨浜町の滞在スペース開業に向けて、資金集めや開業準備をしています。鳥取にお越しの際はぜひお訪ねください!

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『ぼのぼの』
(いがらしみきお、竹書房)

1冊ずつお風呂で読むことをおすすめします。

次回執筆者

バトンタッチメッセージ

2009年、大阪・此花区で、ある日突然に「梅香堂」がオープンしてから、何気なかったまちの動線が変わった。「梅香堂」は、行くたびに、いままで見たことないアートの世界を見せてくれるみんなの大事な場所。愉快な作家たちに慕われているごごたさん、そこから何が見えますか?
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