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「切実ななにか」を巡る私的考察



 表現の切実さ。最近、このことをよく考えている。ある表現者が何かを表現しようとするときに傾ける膨大なエネルギー。それが社会的なものであれ極私的なものであれ、表現者たちが抱える極めて「切実ななにか」が、意識的であれ無意識であれ、作品あるいは行為として美しく結実し、われわれの前に立ち現れる奇跡のような瞬間。その瞬間のもつえもいわれぬ魔力を、私はアートと呼んでいる。

 そのような瞬間をつくりだすために人とモノとお金が動く現場に、「制作者」として関わるようになって丸4年が経った。東京国際芸術祭(TIF)で04年から継続している「中東シリーズ」では、クウェート、レバノン、パレスチナ、チュニジア、イスラエルから、社会性の強い演劇やダンスを招聘し、またパレスチナやクウェートのアーティストとは国際共同製作にとりくみ、東京での世界初演を実現した。

 21世紀初頭の生ぬるい日本人にとってはかなり過激な(というか危険な?)現場にも何度も遭遇してきた。何しろ出張で飛ばされる地域が外務省渡航危険度レベル3以上の国ばかりだからしかたない。舞台美術を手がけたアーティスト椿昇さんとともにイスラエル軍の検問所を超えて訪れた「占領地」パレスチナ、世界中から集まった芸術関係者を前に政府の検閲局が介入し大スキャンダルとなったレバノンのアーティスト、ラビア・ムルエの伝説的ベイルート公演・・・そこでは、中東地域に凝縮された世界構造の矛盾をえぐり、社会の挫折感やアイデンティティの鬱屈を執拗に描き続けるアーティストたちが存在する。そして、彼らは、紛争、内戦、検閲といった逆境の中でも表現することを断念しない。彼らが発散するエネルギーは、透明なマグマのように静かに社会に充満していく。

 これは中東に限った話ではない。また、政治状況の厳しい地域に限った話でもない。社会的な体温が冷めきった日本でも、我々は「切実なにか」を追求するアーティストの作品に出会うことができる。イギリスの現代戯曲を用いつつも日本社会の裂け目を自殺や孤独死といった問題から描いた「4.48サイコシス」(演出:阿部初美)などはその好例だろう。

 こういった切実さに突き動かされるアーティストたちは、時に固定化した社会を覚醒し、時に社会に警鐘を鳴らし逆流を巻き起こす「使者」として存在する。なぜなら彼らの切実な表現は、解答なき「生」の混沌を提示し、既存の価値観に揺さぶりをかけながら、観るものに「他者」との対話を切実に迫ってくるからだ。

 この「使者」が不在の社会には未来がないことをいち早く察知し、国家政策あるいは都市文化政策に落とし込んで実践しているのがヨーロッパの先進国だろう。前々回のリレーコラムで樋口氏が明晰に指摘しているように、過去の植民地主義がもたらした大量の移民や若者の失業問題によって社会に亀裂が生じて久しいヨーロッパでは、劇場、美術館、国際展、といったアートの制度的な枠組みに加え、都市や郊外の公共空間、さらには刑務所や病院といった場所にも次々とインストールされ、アートを媒体とした多様な社会の実現に向けたコミュニケーションが、政策・現場を問わず大きなテーマとなっている。日本でも大流行の「芸術文化で地域再生」というスローガンも、こういった基本思想を因数分解した結果なのであろう。また舞台芸術の分野では、ある程度のキャリアを積んだ演出家や振付家は公立劇場の芸術監督となり、自らの創作活動に地域社会を巻き込んでいくことで、地域に責任ある役割を果たしていく。ヨーロッパのアーティストたちと仕事をすると、よくも悪くも、彼らが社会で果たす(ように期待されている)役割がより明確になっているのを感じずにはいられない。

 ヨーロッパほど明確にではないにしろ、日本でも社会の中でアーティストが果たす役割や位置、また彼らが継続して表現活動を続けていくために必要なインフラをどう整えるかという議論は、アートマネジメントの中心的な命題としてこれまでも盛んになされてきたはずだ。クリエーションのための場所、継続的な助成金、アーティスト保険制度・・・しかし、多種多様なアートプロジェクトが各地に乱立しては消えていく今の混沌とした日本のアートシーンの中で、アーティストが「切実ななにか」を時間と労力を惜しまずに丁寧に作品化していくこと、そのために長期的な「目標」を持ち続けることが、かなり難しいものとなっている。

 今、多くのアーティストは作品をつくるにあたり公的な助成金を頼りにしているが、単年度ごとに支給されるこれらの助成金の多くは、年度のはじめにその採択が通知されてから1年以内に消化しなければならない。そのため、年度末の3月には大小さまざまなアートイベントが全国に乱立し、つくり手も受け手も、その消化に奔走し、憔悴する。だが仮にそのような形で10年間作品をつくり続けたアーティストが、やがて自分の劇場をもてる確率は限りなくゼロに近いだろう。この事実に早い段階で気がつく賢いアーティストたちは、むしろ海外にその活動拠点を移していくことになる。

 ・・・と、つい悲観的な分析となってしまったが、このようにアーティストが長期的・具体的な目標をもつことができないホープレスな状況を変えていくことが、今私が一番関心を持ち、何とかしていきたいと思うことの一つだ。そのための試みが、東京国際芸術祭というフェスティバルであり、にしすがも創造舎という拠点である。

 世界には星の数ほどのフェスティバルがあるが、その中でも、フランスのアヴィニオン演劇祭、ベルギーのクンステン・フェスティバル・デザールなど、一流のフェスティバルであればあるほど、フェスティバルがアーティストを育ててきた歴史がある。短期間に多くの作品が集中的に上演され、アーティスト、観客、関係者が集まることで強度の対話が生み出されるフェスティバルは、アーティストにとっても切磋琢磨の大きなチャンスとなる。フェスティバルがアーティストを育てるという場合、より具体的には、
1)複数年にわたり継続して発表の機会を与える、
2)作品の製作(プロデュース)に責任をもつ、
3)作品の普及(ディストリビューション)に責任をもつ、
ということを意味する。世界のアート界で、日本が「すでに有名なアーティストの良くできた作品を高く買ってくれる単なるマーケット」として以外の意味ある地位を得るためには、こうした世界的なクリエーションの場で、独自のイニシアティヴをとって新しい作品を生み出す原動力となっていく必要があるだろう。

 市村作知雄ディレクター率いる東京国際芸術祭「中東シリーズ」の国際共同製作は、まさにこういった理念に基づいて行われている。例えばクウェートの演出家スレイマン・アルバッサームの「アル・ハムレット・サミット」(2004)は、フェスティバル側の提案によって製作された後、世界中のほかのフェスティバルを巡回し、大きな成功を収めた。そこでわれわれは再度、新しい作品のプロデュースを提案したところ、今度はロンドンのバービカン・センターやクウェートのイスラーム美術館も共同製作に参加を希望し、より大きな枠組みで作品づくりが可能となった。こうしたフェスティバル独自のイニシアティヴは、一人のアーティストを育てると同時に、フェスティバルそのものの価値をも高めることにも繋がっていく。実際、この作品の成功を通して、突如世界がわれわれ、極東の弱小NPO主催のフェスティバルに向けた注目の大きさに、私は担当者として何度も身震いを覚えた。

 また、NPO法人アートネットワーク・ジャパン(ANJ)事務局長・蓮池奈緒子のイニシアティヴを中心として実現した「にしすがも創造舎」は、廃校となった中学校を活用したアートセンターとして、演劇やダンスの稽古場として機能するのみならず、体育館を大胆に劇場化し、より本格的な創造拠点として前進を続けている。さらには、現在5組のレジデント・アーティストと称するアーティストやカンパニーが優先的・長期的に創造活動に専念できる環境を整えつつある。「切実ななにか」を描き続けるアーティストたちが集まり、膨大な時間と労力を投入してつくられる作品は、やがて東京国際芸術祭を通して社会に問われ、さらに世界へ開かれていくことになるだろう。

 と、自社自賛の誇大妄想を膨らませたあと、ふと現実に引き戻れば、にっちもさっちもいかない問題だらけ。ほとほといやになって、頭の中ではホープレスなスパイラルがぐるぐる回り始める。お察しのとおり、そのスパイラルの9割はおカネの問題で、語りだすと単なる愚痴になるので以下省略・・・。

 だが、そんなネガティヴなスパイラルに悶々としているときに限って、「切実ななにか」にとり憑かれた作品やアーティストに出会い、勇気をもらうことになる。つい先日もブリュッセルで、クンステン・フェスティバルがプロデュースを手がけたアルゼンチンのアーティストの作品に出会い、いたく感動した。「経済が破綻した後の社会だからこそ語るべきなにか」をアルゼンチンという世界の「周縁」で追求し続ける彼のように、世界には(もちろん日本にも)、それぞれの地域、それぞれのリアリティの中で、「切実ななにか」を表現し続けるアーティストが、確実に存在する。そういった人々が表現を続けていくために、「目標」となるフェスティバルをつくりだすこと。また、「切実ななにか」をわれわれの生きる同時代に問い直す場としてのフェスティバルをつくりだすこと。それが、今、私が一番したいことだ。

(2006年5月25日)

今後の予定

1) 東京国際芸術祭2007
レバノン・ベイルートを拠点とするアーティスト、ラビア・ムルエの新作(世界初演)を準備中。他にもサミュエル・ベケット特集など盛りだくさん。

2) にしすがも創造舎
廃校を利用としたアートセンター「にしすがも創造舎」。体育館の本格劇場化に平行して、アーティスト・イン・レジデンスの可能性を模索中。

3) 中南米リサーチ
世界的に大きな反響を受けた「TIF中東シリーズ」に引き続き、中南米にフォーカスしたプログラミングを考案中。よってスペイン語学習中。

4) 青森県立美術館「アレコ」
今年いよいよ開館する青森県立美術館。昨年度のコンペで選ばれたアーティストと、現代版「アレコ」を制作・発表する予定。

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次回執筆者

バトンタッチメッセージ

堤康彦さん

ANJと同じ屋根の下(?)に暮らす隣人、NPO法人「芸術家と子どもたち」の代表、堤さん、いつもお疲れ様です!(そしていつもお騒がせしてすみません。)今や「アート×子ども」といえば代名詞的な存在になった「芸術家と子どもたち」ですが、ハヤブサプロジェクトなど、実際には子どもだけでなく大人も老人も巻き込んでいく企画には、いつも脱帽しています。それにしても、もともと東京ガスの社員でいらっしゃった堤さんが、アート、しかも子ども、しかも NPO!というところにたどり着くには、いったいどんなすごい体験、出会い、思索があったのでしょうか? 日々進化を続ける「芸術家と子どもたち」の取り組みや考えも織り交ぜ、ぜひ語ってください。
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